自転車が走る街
イタリア文学者・河島英昭はこのように書いています。これはイタリアでは案外珍しいことなのではないでしょうか。例えば、夫の親戚がいるため頻繁に訪れるフィレンツェでは、自転車より圧倒的にバイクのほうが優勢のように思います。
河島英昭がフェッラーラを訪れたのは約20年ほど前のことですが、今でもその時と変わらず自転車はたくさん走っていました。私が撮った写真にも、自転車が山のように写り込んでいます。
少々驚いたのは、旧ゲットーの道路脇にキーチェーンもなく無造作に置かれた自転車があったこと。ブルージュ(ベルギー)ではさほど珍しくなかったこの風景も、イタリアにあってはギョッとします。夫は「フランクフルトでキーチェーンなしに駐輪したら、30分も経たないうちに確実に盗まれるよ」とボヤいていました。きちんと調べたわけではありませんが、少なくともフェッラーラはこの点ではフランクフルトより治安が良さそうな印象を受けました。事実、フェッラーラですっかり油断した夫は、フィレンツェでうっかりショルダーバッグを背後に回してしまい、スリにバッグの蓋を開けられてしまいました(場所は「これぞ危険地帯」と言わんばかりのフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅前の交差点です)。幸い、近くを歩いていた人がすぐに気付いて声を出してくれたので何か盗まれることはありませんでしたが、まあ、基本的にイタリア(…というか、欧州の主要都市)はどこと限らず一瞬でも隙を見せれば何処から手が伸びてきますから、私にとって(そして夫にとっても)このキーチェーンなし駐輪はけっこうな衝撃でした。
街にはいちおうバイク専用駐車場も設けられていましたが、フィレンツェなどに比べると閑古鳥が鳴いていたと言って良いかもしれません。ご参考までに、以下がフィレンツェ中心部でよく見る光景です。隙間なくバイクで埋め尽くされた路肩。
ところで、フェッラーラ行きを決めた後、フィレンツェの義理叔母とビデオ通話した時に「次はフェッラーラへ行く」と話したら、彼女は「?」という顔をしていました。世界でもトップレベルの観光地が軒並み揃うイタリアにあっては、確かにフェッラーラは目立たない街になるのかもしれません(ちなみに彼女のエミリア=ロマーニャでの一番の推しはパルマです)。
しかし、実はフェッラーラは10代の頃から私が知っていた、数少ないイタリアの街なのです。当時私は、永井路子『歴史をさわがせた女たち』という本の中に収録されていたルクレツィア・ボルジアの章をたいそう気に入って繰り返し読んでいました。そして、父親(法王アレクサンデル6世)や兄(チェーザレ・ボルジア)に好き勝手に振り回され、メチャクチャにされたルクレツィアの人生終焉の地が、このフェッラーラだったのです。その後、何十年の時を経て、自分が彼の地に立つことになるとは、少女だった私は想像しませんでしたが。
夫と結婚してドイツに住み、初めてフィレンツェの義理叔母に会いに行った時、私がフィレンツェに追加して選んだ旅先の一つが、ですから、このフェッラーラでした。この時はパドヴァからの日帰り旅行だったので、わずか数時間でフェッラーラの全体像がつかめず、期待が大きかったぶん拍子抜けしたような感が否めませんでした(確か天気もすごく悪かったと思います)。その後、10年以上の時を経て再びフェッラーラを訪れ、3泊してゆっくり街を歩いた結果、最初に抱いた拍子抜けの印象は誤ったものだということが良く分かりました。そして3泊ではとてもこの街を歩き尽くせないということも。今回の旅では、毎日15000歩以上歩き回ったにもかかわらず、積み残しをたくさん出しました。
幸い現在は日本ではなくドイツに住んでいるので、ボローニャーまでひとっ飛びすれば、あとは1時間も経たずに列車でフェッラーラへ着くことができます。この地の利を生かして、子どもの頃からその名に馴染んでいたフェッラーラへ、もう一度行きたいと思います。今回の積み残しを回収するために。
なお、ここに投稿した写真は、すべてRolleiflex 2.8F PlanarとIlford HP5 Plusを使用して撮影しました。
引用文献
河島英昭『イタリア・ユダヤ人の風景』岩波書店, 2004年
補足:永井路子『歴史をさわがせた女たち 外国篇』(文春文庫)について
この記事を書くにあたり日本のAmazonを検索したところ、現時点(2024年11月28日)では新装版(2003年)が中古で手に入るようです。私が持っていた本は、昔あれほど繰り返し読んだにも関わらず、とうに何処かへ行ってしまいました。それでも、今回この本のことを改めて考えると、未だに挿絵まで鮮やかに頭の中に浮かびます。中古で手に入るうちに外国篇だけでも買っておきたいなあと考えています。少女だった私に多大な影響を与えた本なので。