理系に世界を任せておけないこと
正確には、理系「だけ」人間には任せられない、という意図のタイトルですが↑
ともあれ、
戦争や紛争のニュースを見て、子供や女性が亡くなっていることを聞いて、「こんな弱い者が死んでいるなんてひどい」ということを発言した人に対して、必ず出てくる冷たいコメント、
「なにを甘いことを言っているんだ!戦争や紛争はパワーゲームとして、やらねばならないことなんだ!女子供がどうこうと言って、報復や軍事介入を躊躇するようなことをしているのは、甘いのだ」。
なんか偉そうにそう言ってくる人が多いのですが、そんなことはわかってるわけで。
・「統計学や政治経済学で合理的に考えた時の、パワーゲームとしての、あるべき世界」
と、
・「個々人の実存、個々人の実人生の(つまりモナドロジーとしてみた場合の)、あるべき世界」
とが、どうしても一致してくれないことは古代ギリシャのプラトンから最近のバフチンまでが3000年も問題にしている、まさに人類最大の宿題です。
どうも、文学をきちんとやったことのない人は、こういう何千年にもわたり継続している丹念な議論を忘れて、「統計的、地政学的に正しい戦略の前には個々人の人生の犠牲は仕方ないのだ」という、「それを言っちゃおしまい」なところに戻って「議論は終わり!」とコミュニケーションから閉じこもるから恐ろしい。
やはり、理系人間には世界は任せられない。
ところが最近は「子供を進ませるなら理系、文系は古い」などという人が多いから困ったものだ。悪いけど、私はコテコテの文系大学出身ですが、無事にエンジニアとして理系人間をマネジメントしシステムを開発させる立場に出世しています。大学で理系を学ぼうと、マネジメントやリーダーシップは結局は総合的な人間理解に基づかないと養えない。そもそもテクノロジー的な知識は、実は大学でなくても手に入れやすい。
むしろ大学ではしっかり、総合人類文明に触れる文系をやって、世界をなんとか少しでもよくしようという何千年もの議論に加わる気概を養って欲しい。
※あ、もちろん、だからといって文系「だけ」人間が良い、と言いたいわけではないです。誤解のなきよう、、!