心配ないからね!数学苦手でもあなたは既に「ベイズっぽい」毎日を生きている!(あるいは「オールドメディアかSNSかという二者択一」は真の問題ではないと思うハナシ)
以下の記事は、あくまで私の観察のハナシですが、
それも、
最近のさまざまな時事ニュースや選挙ニュースを見ていて、「オールドメディアとSNSの対立」などという切り取りを目にすることについて、
ぜひ提起していたい、私の観察です。まあ、「私の感想ですよね」って言われりゃそれまでのハナシですが。
私自身もそうですし、なおさら、若い世代の方はそうだと思うのですが、
ニュースとかネット情報とか世論とかを見るときの考え方そのものに、どうも昔の世代との決定的な違いがあるように思えます。
一言でいうと・・・私のように現代の会社員としてたたき上げられた中年は当然のことながら、まだ社会に出ていない学生さんも、おそらくデジタルネイティブ世代は総じて、「自然にベイズの定理っぽい世界観でモノを見ている」のではないかなと。
おっと!
「ベイズの定理」と聞いて、あわててブラウザバックしようとした、そこの方!大丈夫ですよ!まぁ、待ってください。数学の話は出てきません!
私が言いたいのは、「もしかすると、ベイズの定理の数学的な公式を知らない人でも、現代ビジネスマンや、デジタルネイティブの若い世代の人は、日常生活で自然に『ベイズの定理っぽい考え方』をしちゃっているのではないか」という観察です。よしんばあなたが数学苦手でも、すでにあなたは、「ベイズの定理」のパラダイムの中を自在に泳いでいるかもしれないのですよ!
それでは、私がここでいう「ベイズの定理っぽい考え方」とは、どういうことか?
まず、「世界には、絶対に確実なことはなにもない」「すべては確率である」と考えること。「確率」が難しければ、「すべては相対的な信頼度スコアリングで判断するしかない」と考えることです。
そうではない人は、どう考えるか?「AとBという二つのニュースがあった場合」(AとBという二つの政党、でもよいのですが)、「AかBのどちらかが正直者で、どちらかが嘘つき」と考える。よって、彼らにとっては、「どちらが正直者か」を見分けることが大切になります。片方が正直者と決まれば、もう一方は嘘つきと決まりますからね。
いっぽう先述の「ベイズの定理っぽい考え方」は、「AとBという二つのニュースがあった場合、どちらも、ある程度の真実と、ある程度の誤報が混じっている」と考える。「完全な正直者も、完全な嘘つきも存在しない」と考える(あなた自身だって、小さな嘘は、日常的に、やむをえず、ついて生きているでしょう?)。
だから、問題は、「AとBの、どちらが、より高めの信頼度スコアを持っていると言えるか」というスコア比較の問題になる(支持政党についても同じで、100点VS0点ではなく、「自分なりにスコアリングをして、いま、いちばん、スコア評価が高い政党」を探すことになる。特定の支持政党を持たない無党派層が増えているのもこういうことなのかも)
だが、これだけですと、「絶対的な評価を捨てて相対的な評価を好むようになった」というだけで、パラダイム変化というほど強烈ではない。
「ベイズの定理っぽい考え方」の真価はここからです。
「ベイズの定理っぽい考え方」をしている人は、「AとBの、どちらが、より多くの正直スコアを持っているか」というその「信頼度スコア自体」を、日々、つどつど、どんどん変えていく。
SNSをニュース情報収集に普段使っている人なら、この判断は自然にやっていると思います。
たとえばYOUTUBEで、人気の発信者を見つけたとする。その人が、とてもよく勉強していて、話も上手だし、他のニュースと照らし合わせても正確っぽいことを言っているとすると、あなたは「どうせ嘘や間違いも混じっているかもしれないけど、この人をフォローしてみようかな?」と、フォローリストに入れるでしょう。ところが、その後、ある問題(たとえばロシア問題でも、ワクチン問題でも、裏金問題でもなんでもいいのですが)に関しては、かたくなにむちゃくちゃなデマを流し始めたとする。そうなると、「あ、こうなると、この人が今まで言ってきたことも怪しいな・・・」と感じて、フォローを外しちゃうでしょう。
これは、「新しい情報」や「新しい展開」を目にするたびに、ニュース元に対する信頼度のスコアを上げたり下げたりしているといえます。一度信頼した発信元でも、「やはり怪しい」となれば一夜で信頼スコアを下げちゃうわけです。そういう意味では、昔の世代より「騙されやすい」どころか、総合的にはみんな、騙されにくくなっている筈です。
ここのココロがわかっていないから、昔の世代の人には、「今の若い人はネットのデマでも平気で信じる」と見えているのかもしれない。そうではない。「そのとき、その場、その時点で、いちばん真実に近そうなものを選んでいる」だけのことです。その中には、なるほど、デマを掴まされてしまっている人もたくさんいるかもしれない。だが、昔の世代の人が「特定の政党のいうことは全部◎」「特定のメディアのいうことが全部◎」とやっていることに比べて、実はトータルでは騙されにくくなっている筈。
自分が一度信じたニュースでも、「あれはデマだった」という証拠がその後に新情報として出てくれば、「そうか!あれはデマだったのか!」と一気に冷めていく厳しさを持っているということですからね。
オールドメディアが信頼されなくなったのではない。単に、このような厳しさにおいて、オールドメディアも同じように「信頼度スコアは他の情報元より高いか、低いか」でつねに見られるようになっただけです。そしてなるほど、2024年の今の段階では、いわゆるオールドメディアのほうが「嘘が多い」というスコアリングになりがちですが、いつまでもこう、とは限りません。だから、いま、オールドメディアに対するアンチで好調なネット発信者も、調子に乗って「やりすぎ」ると、それはそれでしっぺ返しがくるでしょう。
何が言いたいかというと、「デマに流されやすくなった」云々ではなく、ビジネス世界の変化や、デジタル技術利用が当たり前となったライフスタイルの変化で、「そのとき、その場、その時点では、だれがいちばん真実に近いか」を評価スコアのように見るようになっただけではないか、というハナシ。
そして、なるほどこの世界でも、みんながデマに流される危険はありますが、「○○が言うことが絶対◎で、その反対者は全員×」みたいな二元論の時代よりも、民主主義としてはよいことではないか、というハナシ。
ただし・・・どうも、↑こういうハナシをしても、「誰が正直で誰が嘘なのかすら、相対的だというのか?真実や真理を求める崇高なココロを失ったのか!」と怒る人がいるようだ。そんなことは言っていない。「絶対の真理」を求めるより、「相対的に真理らしいこと」を探すほうが、結果として騙されにくいと言っているだけである(だいいち、厳密にいえば、「絶対の真理」などというものを誰かが主張していたとして、それが「絶対の真理」だと証明してくれるのは誰になるんですかね、、、神様ですかね、どこかの政党の綱領ですかね?)。
世代間でモノの見え方がこんなに違うのは、キツいことも多いですよね、、、という、オハナシでした。あ、もちろん、「古い世代」「新しい世代」というのも相対的な話であって、高年齢であってもバリバリ新しいモノの見方をしている人もたくさんいますし、若い人でも「〇〇の言うことはぜったい」「〇〇に書いてあることはぜったい」な人はたくさんいます、ということは申し添えます。
【まとめ】「ベイズっぽいモノの見方とは」
[1]「この世には絶対確実なことも絶対不確実なこともない」
[2]「ただし、『これは信頼できそうスコア70点』『こっちは10点』と、相対的な信頼度スコアを個々人がつけてモノを考えることができる」
[3]「しかもそのスコアは少しのきっかけで日々変わる。オールドメディアだろうとSNS発信者だろうと、日々、信頼度の点数づけを厳しくされていて、かつスコアは冷酷に乱高下するものと覚悟すべし」
↑で、私はこのモノの見方はもはやマジョリティになりつつあると思うが、昔カタギな政治色強い人に見つかると「なんだと!絶対の真実を求めるという純粋な気持ちがないのか!」と謎の怒られ方をすることがあるので、なかなか大変です、、、という、オハナシでした!
なお、最後に・・・
ここで私が「ベイズの定理っぽい考え方」と言ったのは、あくまで「ぽい」だけのことであって、所詮は比喩ですw。ただしこういう話を聞いて本気で「ベイズの定理」を理解したい人と思った方は、ぜひ、数学の本を読んで勉強してください。
というのも、、、現代を生きる上でベイズの定理はほんっとに役に立つからです!!これは請け合う!!
かつ、実は、考え方の基礎のコツさえ使えばそれほど難しい分野ではありません。
私もお世話になった良き入門書として、元航空自衛隊の方がバリバリわかりやすい例題で説明してくれる以下を、オススメいたします。ぜひ、参考にしてください!