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「江戸時代の理数系」と「明治維新後の理数系」の間にある「言ってはいけない」残酷な真実
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以前も何度か記事にしたテーマですが、
私は数学好きであると同時に、「日本の数学(和算)」の歴史も好きです
で、こういう話をすると
「そうですよね!和算はいいですよね!そのほかにも、江戸時代の日本には、西洋にも対抗できる近代科学のマインドをもった理数系の知識層が育っていたので、黒船が来る前から日本にはじゅうぶんに科学立国の素地はあったんですよね?」
というようなことを、よく言われます
まず、私の意見としては、
はい、私も、その歴史観に、おおむね賛成です
江戸幕末の数学や科学のレベルは、すでにヤバいレベルにあったと思います
「そして、そういうマインドがすでにあったことが、明治維新後の近代社会化につながった」点も、私もそうだと思っています、、、ただし、、、
この歴史観については、皆さんが、、、もしかしたら気づいている方も多いかもしれないけど、「言いにくい」と思って言わないのか、
残酷なポイントがありますよね?
つまり、江戸幕末の日本の科学知識や数学レベル(独自の和算)は凄かったし、それが後続の若い世代に火をつけたという意味で明治維新後の社会改革に役に立った点はあるとは思いますが、
江戸幕末に科学や数学をやっていた「人」単位で見ると、彼らは明治維新後に報われたわけではなく、むしろ、後続の若い世代が直接に西欧留学などをして、西欧で学んだ最新科学を持ち帰ってきてしまうと、圧倒的に勝てなかったし、、、「和算」にいたっては「役に立たないもの」としてそもそも文化として壊滅してるんですよね、、、
江戸幕末の理数系文化を担った人々が
実際に「日本を科学立国するぞ」となった時には、まるで報われず、むしろ老害扱いで社会から消えていったという点は、
別に明治維新だけが悪いわけではなく、どうやら、残酷なことに、歴史とはそういうもののようですね
「あれ?でも、幕末に科学や洋学をやっていた人で、明治維新後に、実業家や学者として大成功した人もいるのでは?」と思った人もいるかもしれませんが、
よく見てください、そういう人たちのほとんどは、薩長土肥の出身者か、明治政府に協力的だった旧幕臣です、、、「科学技術を黒船前から勉強していたから登用された」というよりは、「勝ち組の流れに乗れた」人たちです
残酷ですねえ、怖いですねえ、、、
こういうふうに考えた時、
「しょせん、歴史ってものは個人の努力に報いてくれないなら、勉強なんてなんのためにやるの!?」とやる気をなくすか
「勉強なんてのは社会的な評価や、生活の水準とは関係なく、自分のためにやるものだ」と気合を入れ直すかは、個人個人次第
ただし、私がしばしば、私と同世代に、
「AIやら何やらの最新技術を勉強するのはいいけど、若い世代に勝負を挑むのは無茶だよ、デジタルネイティブに勝てるはずはない」とドライなことを言うのは、私がそんなふうに考えてるから
そして「いや、勝てなくてもいい。自分が勉強したいからやってるんだ」という人こそ、本当に勉強が好きな人として尊敬できますし、、、同志としてぜひ繋がりましょう!
そして最後に、明治維新で没落した側にもいろんな人がいるけど、
新しい社会が報いてくれないのが不満だからって、武装蜂起するのは、あれは、やめましょう、、、関係のない人々が巻き込まれて大量に死にますからね。そんなことを言っても佐賀の乱や西南戦争は「起こさざるを得ないほど追い詰められてた」という点に理解はするし戦没者への追悼の気持ちを私は忘れたことはないけど、やはり、無関係な庶民の被害を考えると、どうも、、、という気持ちにはなる
歴史は怖いですねえ
よし
歴史はしょせん、そんな暗い話なので、
今日も理数系の勉強をしましょう!w
▼この時代のことを知りたい方へ:司馬遼太郎は専門の歴史学からは「物語として美化しすぎ」と言われていることは理解した上で読んでいただきたい。面白くて頭に入る点では、やはり司馬遼太郎の筆のパワーはすごいので▼