現代ロシア最大の文芸理論家の総括が何故か『フランス語学概論』という本に入っている点(!)を深読みする話
もったいない!と叫びたくなりました。
現代ロシアを代表する思想家(たぶん。。。少なくとも私はそう思っている)ミハイル・バフチン。
彼については、日本語で書かれた良い解説書が少ないと思っていたのですが、なぜか以下の、
フランス語学概論という書籍の第12章が、フランス語の話そっちのけで、ほとんどバフチン思想の紹介という展開を辿っております
で、このまとめが、実にわかりやすくて、よい!
でもハッキリ言って、どういうことなのかよくわからない。
だって、バフチンに興味がある人は、『フランス語学概論』というタイトルの本の中にバフチンへの熱い言及があるなどとは予想もできず、この本を手に取らないだろうし。
逆に、フランス語に興味がある人はバフチン理論にも興味を持つ、という傾向があるのでしょうか?
これは、そうかもしれない。バフチンを世界に紹介したのはフランスの文学者たち(クリステヴァとか)だったわけだから、フランス語学とバフチンには惹かれ合う何かがあるのかもしれない。
ともかく、本書の第十二章においては、
バフチン理論の中でもとりわけ難解な「カーニバル」というテーマが実にわかりやすくまとめられています
ちょっと引用してみます。
この理論はドストエフスキーの小説の中に見られるように、作者の声、主人公たちの声がカーニバルの喧騒にように反響し合っていくことを表したものである。このさまざまな声の反響は秩序化された理性的な声の連続ではなく、原初的な対話形式とみなすことが可能な生きる力に満ちた声の爆発である。だが、もちろん、それは狂気の世界を示したものではなく、小説という表現形式内での内的対話性と深く結びついたものである。問題はエゴが絶対的で単一なものとして表現されるだけのものではなく、多重的なものとしても提示することが可能という点にある(『フランス語学概論(髭 郁彦, 渡邊 淳也, 川島 浩一郎)/駿河台出版社』より引用)
問題は、どうしてこのようなバフチンの総括が、文芸理論の本でもなくロシア思想の本でもなく、フランス語学概論という本の中に入っているのかというナゾなのですが。ともかくバフチン思想に共感する人のために、
『フランス語学概論』という意外な本の中に、バフチンに対する熱いエールが載っているぞ!
という、私の発見を叫んでみたい、と思った次第でした。
※バフチンのいいところは、私の理解するかぎり、「小説とは、議論やディベートのようないわゆる『相手をやりこめるための対話』とはまた別の、意見の違う者どうしの対話のモデルを探究している」とみている点でしょうか。伝統的な「小説観」とはまるで相いれない斬新な発想!「小説というものに対してそういう読み方があったのか!」という驚きを与えてくれる思想家ということで、バフチンはまだまだ可能性に満ちた、私たちにとって未来の文学理論家なのだと、私はたいへん好意的に捉えています。取り上げる作家がドストエフスキーやラブレーなどの西欧古典ばかりなので、日本の読者にはとっつきにくいところがあるのが、とことん残念。