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AIが発達すればするほど私が気づいてきちゃうヤバいこと(あるいは形而上学的なケガをしてしまうこと)

最近、発達の目覚ましいAIについて

noteにも、「AIによるサポート受けてみませんか?」な機能が続々と実装され

エンジニアでもある私としては、それ自体は、とても結構なこととは思うのですが

一方で、哲学やハードSF好きなところもある私は

ふと、週末に、変なことに気づいた

、、、私は、今、「私」という実存と、内面と、心を持って、この文章を書いています

でも、、、今日のこの記事自体は、デジタルな文章にすぎないから、

この文章を、いま、読んでくれている皆さんにとっては、この文章は「実存と内面と心を持った『私』ヤシロが書いたもの」なのか、それとも、私の文体を模倣しているAIが生成したものなのか、見分けはつかないですよね?

でもきっと皆さんは、

「まあそりゃそうだけど、わざわざ、noteの記事を一生懸命書いてるヤシロさんの文章を、『これは本人が書いたものか?AIが生成したものか?』なんて、いちいち気にしてないよ?きっと、心をもったご本人が書いたものだろう、と思って読んでるよ?」

と言ってくれるでしょうね、

ありがとうございます!

、、、ですが、問題はそこからなのです、

もし、そんなやりとりをしている、この『私』が、いきなりAI搭載ロボットに襲撃されて、◯されて、入れ替わられて、実存も、内面も、心もない、ロボットがわたしのPCとスマホをジャックし、明日からnoteの更新を続けたら、、、どうなるのでしょう?

「まあそりゃそうだけど、わざわざ、noteの記事を一生懸命書いてるヤシロさんの文章を、『これは本人が書いたものか?AIが生成したものか?』なんて、いちいち気にしてないよ?きっと、心をもったご本人が書いたものだろう、と思って読んでるよ?」

、、、と読んでくれている皆さんは、きっと、その入れ替わりに気づかないですよね?

これは別に、皆さんが悪いとか、ロボットが悪いとか、私が悪いとか、そういうことじゃないですよ?気持ち悪いな、、、と思ったのは、

そんなふうに、デジタル情報世界ではいつでもすりかわられてしまう、「私」だけがその存在を感じている『私の実存、内面、心』の価値って、、、いったいなんなのでしょうね?

、、、いつ、、、蝋燭の火🔥みたいに、「ふっ」と消えても、そっくりな「文体」で喋り続け、そっくりな「文体」で明日からもnoteを更新し、そっくりなスタイルでプログラムを会社に納品する機械があれば、何事もなく無事に世界は動き続けますよね?そもそも、誰も「私の実存」がこの世から失われたことにすら、気づかないんじゃない??

、、、え?

『私』って、そんなものなの?

「私にとってはかけがえのない私の実存」って、私以外の全人類、いや、全宇宙にとって、「機械に取って代わられても別に同じ程度のもの」なの!?

AIについて真面目に考えていると、たまにこういうところに落ち込むから、ちょっと怖い

※いま適当に本棚をいじっていたら、華厳宗に関する入門書に、「『私』というものは、あるといえばあるし、無だといえば無ともいえる、そんな、『あるともないともいえる』ものとして突き詰めすぎずに持っていればよかろう」という意味のことが書いてあって少し落ち着いた…こういう怖い論理のツボにハマったときには西欧哲学の本より日本仏教の本を開くにかぎるが、日本仏教的な達観がこの問題の安住できる答えかといえば、やはり、また、そーいうわけでもない。。。ううむ。唐突なところでつまづいて、なかなかジクジク痛む形而上学的なケガをしてしまったようです、、、

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