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『ルバイヤート』と太平洋戦争の防空壕のこと
世界の古典文学に広く興味を持つ一人として、
イランの詩人による四行詩集『ルバイヤート』の陳舜臣訳があると知り驚いて、ともかくこのたび、読んでみました。
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われら亡き後も世界は永らえん
われらが名また生きし証もなかるべし
われら在らざりし昔も秩序たがわず
われらの死後もまた万事依然たらん
それにしても、陳舜臣氏は太平洋戦争のとき
この『ルバイヤート』の草稿をまるでお守りのようにポケットに入れながら
防空壕で空襲に耐えていた、といいます。
「太平洋戦争時代の日本人が、ペルシャやアラビアやトルコなど、西アジアの古典文学にたいへんな情熱を持っていた」などという話は、私などは陳舜臣氏以外の事例としてもたくさんの例を知っているが
こういう話は今の若い人にはほとんど伝わっていない話と思われる。たまに出てきたとしても、「戦争中の日本では、いずれアジアを支配するために、ユーラシア大陸の言語や宗教を学ぶ学生が多かった」とバイアスをもって伝えられてしまうし(※もちろん、「いずれ日本がイスラム圏を支配する日に役立つために」という目的で勉強してた人もたくさんいたことは事実でしょうけど。ただ、そういう人達だけでもなかった、とは言いたい)。
そういう意味でも陳舜臣氏のこの本はモニュメントかも。戦前の日本のユーラシア文化研究のレベルは(繰り返しになるが戦争目的が念頭にあった人も確かにいた、という点は認めつつも)現代の私の目から見て、情熱とレベルの高さにいつも驚かされます。
これからの日本人のユーラシア研究はどうなってどこへいくのか、それは、私にもわからない。