私が映画『マトリックス』第一作を批判したところ&ところが第二作第三作を評価したところ&第四作…
皆さん、こんにちは。
最近、映画『マトリックス』の第五作が製作開始となる旨のニュースが出たばかりですが、
「夢と現実の関係」とか「SF思考」とかをnoteで扱ってきた私にとって、『マトリックス』シリーズは私の関心をいつも惹きつける題材であり続けています。
つまり「もし私の住んでるココがマトリックスの中だったら」とかいった思考実験に最適なのですな。
ところが。
私はこのシリーズを高く評価しつつも、特にその第一作については、
私がハリウッド映画を観た時にしばしば感じる不満と同じ欠点が露骨に出ていて、そこが「所詮はハリウッド映画の枠内にある映画だなあ」と思いました。
その欠点とは、「たかがハリウッドの娯楽映画と割り切れば済むのに、そんなところが気になるなんて、マジメか!」とツッコまれるかもしれませんが、
昨今の世の中の陰謀論者などと共通の論理構造な気もするので、笑ってやり過ごすわけにもいかない。つまり、
「どうしてハリウッド映画の主人公というのは、『Aが悪い』ということが物語の中でわかった時点で、迷いもなく『反Aで戦っている方が正義だ!そちらに味方しよう』とコロリと決断できるのか?」という素朴な疑問。
何かの大陰謀や大事件に巻き込まれた人間ならば、
いや、
何かの大陰謀や大事件に巻き込まれた人間ほど、
「二つの陣営が戦争をしていて、そのうちの片方、Aのほうの危険な部分が目についた、、、ならば、それと戦っている反A陣営のほうも、同じくらい危険な連中ではなかろうか」と、戦っている双方について疑心暗鬼が膨らみ、どちらも信じられなくなるのが自然ではないでしょうか?
ところが、ハリウッド娯楽映画では、
「Aというのは悪なのか!よし、ならば俺は反Aで戦うほうに力を貸すぜ!それが正義ってもんだ!」とあっけなく割り切ってしまう。まあ、そうしないと話が長くなってしまうからとはわかっているのですが、、、。
『マトリックス』にもそういうところがあり、とりわけ、
「自分が『マトリックスが人類を騙していた』ことがわかった瞬間、
『いまだにマトリックスに騙されているだけの一般市民』の犠牲をまったく気にせず、銃乱射やビル爆破で大量の通行人の犠牲を出してもまるで気にしなくなる」キアヌ・リーブスたちの態度には気持ち悪いものすら感じた。
外から見てると、彼らの方がマトリックスを超える悪になってるとも解釈できるのに、それについての気づきもないようで。
ところが!
第二作、そして
第三作を見たことで、
私はこのシリーズへの評価を爆上げしました。
話が進むにつれて、マトリックスと主人公たちの対立関係はしだいに微妙なニュアンスになり、
エグザイルと呼ばれる「マトリックスでも人間でもない第三勢力」の登場や、人間側(ザイオン)陣営の中にも意見や考えの違いがあること、
いやそもそもマトリックスの側にも、アーキテクトとオラクルとでは「人間」をどう扱うかで意見の違いが出てきたり、非常に興味深い展開となりました。
第三作のラストに至っては、なんと、「機械と人間の共存の可能性」を示唆して終わるという、並のハリウッド映画では見られないような「よい意味での曖昧さ」を残したラストシーンとなり、私は大満足でした。
※その和解のきっかけとなったのが、機械にとっても人間にとっても「共通の危険」であるスミス、それがつまりは「みさかいもなく暴走しあらゆる秩序を侵食していくカオス」であるという点も、実に興味深い。
↑もちろん、これは私なりの見方。
ですが、「そんな『マトリックス』の見方があったのか!」と気になった方は、ぜひ、↑こういう見方で三部作を見直してほしいな、と思います。
特に、
「AとBのどちらが善でどちらが悪か」というほど単純ではない現代で、思考停止に陥って安易な陰謀論に陥ることが弊害だらけの昨今を見直す、意外な「思考実験」のネタの宝庫として、『マトリックス』は改めての見応えに満ちていると思います。
では、あれから20年ほどの間をあけて登場した、第四作はどうだったかというと、、
テーマとしてはさらに深く、難しくなったという、制作側の冒険心はおおいに評価する。
ですが、
旧三部作でキレイなオチがついたものと判断していた私としては、そもそも新作を無理に作ってしまったことについて気持ちが複雑なのですよねえw
それに第三作のラストでかすかに見えた「機械と人間の共存の可能性」が、第四作を見る限り絶望的な分断に戻ってしまったようにしか見えないのも残念。
ただし、第四作は、過去の三作とはまるで別モノで、
何が善で何が悪か、という問いもすべて一巡した後の、主人公の「実存主義的な悩みとそこからのふっきれた飛躍」の物語と見れば、理解できなくもない。ただその場合、ありがちな「ハリウッドの欠点」が戻ってきてしまっている感も否めない。
さてはて、
そうなると、、、
第五作はどうなりますことやら?
監督が『キャビン』の監督である、というところも、なんだか心配になってしまうところではあります。『キャビン』自体のオバカ感覚は私は好きですけどね、、、。
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