「やっぱりペレーヴィンはすげぇーなぁ!」ロシアの鬼才が繰り出す前衛的な迷宮物語『恐怖の兜』
「いやー、やっぱりペレーヴィンは、すげぇーなぁ!」と読後に叫んでしまったのは、
サッカー好きにしか伝わらない話ながら、2002年の「名実況」として有名な、倉敷保雄アナが思わず叫んだ「いやー、やっぱりベッカムは、すげぇーなぁ!」を思い出しながら叫んでしまったコトバでありまするが、
私が追っかけしている現代文学作家の一人、ロシアのヴィクトル・ペレーヴィンの、『恐怖の兜』という作品が、よい、すごくよい!かなり前衛的な小説なので万人向きとは言えないが、こいつは、えらく、よい!
あらすじとしては、
まるで最近流行の「デスゲーム」の如く、気がついたら、ディスプレイとキーボードと、簡素なベッドやバスルーム付きの一室にそれぞれ閉じ込められていた男女が、
互いにチャットでやりとりをしながら、何とかこの部屋、および部屋の外に広がっている迷宮からの脱出方法を探す、というもの。
、、、なのですが、冒頭にボルヘスの作品からの引用が載せられていることが暗示している通り、
ボルヘスや、ひところのウンベルト・エーコが得意としていた「迷宮感覚」な文芸作品の、ロシア版、と言えば、現代文学好きな方には雰囲気が伝わるかも。
ただし、
膨大な哲学や現代フランス思想や、過去の古典文学作品や、『スターウォーズ』や『バットマン』や、果ては日本の萌えアニメまでを含めた様々な他作品からのパロディ的引用が登場人物のセリフのほとんどを埋め尽くしており、
そういう膨大な引用の「元ネタ」探しにとらわれると、まさに読者自身も、この迷宮感覚な作品のアヤしい魅力にどハマりして、迷宮から抜け出せなくなるわけですが、
私個人としては、世代的な共感という意味で、Windows95やWindows98の標準搭載スクリーンセイバーについての談義が出てきたところは、嬉しかったぞ。「ああー!わかる!90年代のWindowsに、たしかに、そういうスクリーンセイバーあったよね?」と!
そのような、膨大な無駄話が続いていき、最終的には不安感いっぱいな投げっぱなしオチを喰らわせられるこの小説を、「かったるい」と見るか「オシャレ!」と見るかは、文字通り、読む人次第という奇作ですが、
現代文学好きには、きっと、「こういうのが好き」という方はいると思うし、
こういう作品をポンと出してくるところに、
「やっぱり、ペレーヴィンは、すげぇーなぁ!」と思うと同時に、
今の戦争のせいで私個人は現行のロシア政府には強烈に批判的になっているとはいえ、
「やっぱり、ロシアの文学は、すげぇーなぁ!」と認めざるをえないのでした。そんなに部数は見込めないであろう(と思う)このような実験的作品をよくぞ繰り出してくれるものです。参った、、、!
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