【読書録】『旅する力 深夜特急ノート』沢木耕太郎
私の年代(アラフィフ)の人たちや、少し上の年代の先輩たちの中には、若い頃に、沢木耕太郎氏の『深夜特急』(1986-1992)にハマり、海外へ冒険の旅に出ることに憧れを抱いた方、そして実際に海外に出かけた方々が、多くいらっしゃるのではないだろうか。私も、そのひとりだ。
『深夜特急』をご存知ない方のために、ごく大雑把に要約すると、インドのデリーからイギリスのロンドンまで、路線バスで大陸横断の旅をするという話だ。ご自身の実話を旅行記にしたもので、様々な出会いや発見、ハプニング、ドキドキハラハラの連続。まるで自分が旅をしているような、ワクワクした気分にさせてくれる本だ。
今回ご紹介する『旅する力 深夜特急ノート』は、沢木氏が旅好きになったきっかけとなった、子どもの頃のエピソードから、深夜特急が生まれるまでの過程を紹介するとともに、彼が旅を通じて、旅について考えたことをまとめたエッセイだ。
彼が、小学生の頃、ひとりで知らない街に行ったり、中学生の頃、初めてのひとり旅をしたことなど、彼の旅人生の原体験とも思えるエピソードは、とても微笑ましい。また、貧乏暮らしを経て、少しずつルポライターとして成功していく過程も描かれていて興味深い。
だが、自称・海外トラベラーの私には、このエッセイの随所に散りばめられている、彼の旅についての思いや持論、流儀などに、大いに共感した。以下、備忘のために、心に刺さった箇所をいくつか抜粋する。
人は旅をする。だが、その旅はどこかに在るものではない。旅は旅をする人が作るものだ。/かりにそれがすべてお仕着せの団体旅行であっても、旅はどこかその人によって作られるという要素を含んでいる。(p12)
まさにそのとおり。次はどこに行こう、と、漠然と考えはじめるところから、旅作りが始まっていると思う。
持ち物をザックに詰めるのは無限の引き算をするようなものだった。(p119)
旅の荷物は小さいほど良いので、持ち物は厳選しなければならない。旅の荷造りのコツ、持っていくべき便利グッズや、着回しテクニックには、相当工夫を凝らしてきた。持ち物を厳選する過程で、旅に出る高揚感が高まる。荷造り自体が、実は、結構、楽しかったりする。
持ち物の中で最後まで迷ったのは本だった。(p127)
これもわかる。私も、一人旅のとき、必ず文庫本を荷物に忍ばせていく。本は重いので、厳選しなければならない。最近ではKindleもあるが、古い人間なのか、私はやはり紙の本が好き。
私はザックに大学ノートを入れていったが、それをどのように使うかはまったく考えていなかった。ところが、香港に着いた一日目にしてノートの書き方が決まったのだ。左ページにその日の行程と使った金の詳細を書く。反対の右ページに心覚え風の単語やメモや断章を書く。(p138)
真似をしたわけではないのだが、私の旅ノートの書き方(こちらの記事のマイ・ルーティンNo.4)と、よく似ている。
旅先から実に多くの手紙を書いた。(......)日々の体験を伝えたくて書いていたということもある。しかし、それだけでなく、単に誰かに語り掛けることで、内に向かおうとする精神の、そのバランスを必死に取ろうとしていたということもあるような気がするのだ。(p162-163)
この気持ちも、よくわかる。私も、旅先からは必ず、日本の家族や友人に絵葉書を送った(こちらの記事のマイ・ルーティンNo.3)。親しい人に語りかけることで、精神のバランスを保っていたのかもしれない。
私たちは、旅の途中で、さまざまな窓からさまざまな風景を眼にする。それは飛行機の窓からであったり、汽車の窓からであったり、ホテルの窓からであったりするが、間違いなくその向こうにはひとつの風景が広がっている。しかし、旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景の中に、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。そのとき、それが自身を眺める窓、自身を眺める「旅の窓」になっているのだ。一人旅では、常にその「旅の窓」と向かいあうことになる。(p177)
これも、よくわかる。ひとり旅の途上で、乗り物の窓から外を眺めているとき、街のオープンカフェに座って、行き交う通行人を眺めているとき、小さな教会のベンチに座って、素朴なマリア像を眺めているとき。そういうときに、ふと、自分自身をふりかえる時間が訪れる。私にとって、日常から遠ざかって、自分と対話ができる貴重な機会だ。
私が時々一人旅をしたくなるのは、こういうひとときを持ちたいから、なのかもしれない。自宅にひとりでいても、つい、テレビやネットを見ながらダラダラしてしまうことが多いのに、旅先では、不思議と、物事を深く考えることができて、それが、旅の風景とともに、長く記憶に残るのだ。
私が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。どのようなところでも、どのような状況でも自分は生きていくことができるという自信を持つことができた。
しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになってしまったのだ。(p231)
これも、何となく分かる。私のしてきた旅行の程度は、沢木氏の冒険のレベルに比べると、ままごとのようなものだろう。また、彼のように「どのようなところでも生きていける」という自信まではない。でも、初めての土地に順応する力や、新しい環境を楽しむ力はついたと思う。
そして、その反面、どんなに素敵な場所を見つけても、そこに永住したい、とまでは思えないようになってしまった。もっとほかに、自分に合った場所があるのではないか、と、つい考えてしまうのだ。永遠の旅人というか、根無し草のようなマインドになってしまったのかもしれない。
ところで、どうして十年前も前のことが書けると思ったのか。/それは、私にとっての「三種の神器」とでもいうべきものがあったからである。ひとつは金銭出納帳のようなノート。もうひとつはその反対のページに記されている心覚えの単語や断章。さらにもうひとつは主としてエアログラムと呼ばれる航空書簡に記された膨大な数の手紙。この3つを参照することで当時のことが克明に再現できたのだ。(p258)
これによると、沢木氏が『深夜特急』を書けたのは、メモや手紙が残っていたからだという。私にも、20年以上分の旅ノートと絵葉書があるはずだ(古いものは、押し入れの奥に眠っているが…)。いつか、沢木氏のように、自分だけの旅行記にまとめられると素敵なのだろうが、とてもそのような気力はない。(でも、時々、断片的にでも、noteにアップしていければいいなと思う。)
本来、未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。なぜなら、未経験ということ、経験していないということは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということであるからだ。(p296)
残念ながら、いまの私は、どこに行っても、どのような旅をしても、感動することや興奮することが少なくなっている。すでに多くの土地を旅しているからということもあるのだろうが、年齢が、つまり経験が、感動や興奮を奪ってしまったという要素もあるに違いない。(p302)
かつて、私は、あるインタヴューに答えて、旅することは何かを得ると同時に何かを失うことでもあると言ったことがある。しかし、齢を取ってからの旅は、大事なものを失わないかわりに決定的なものを得ることもないように思えるのだ。(p305)
このあたりの記載も、よくわかる。歳をとるにつれて、旅の経験値が上がるにつれて、次第に、旅の感動や興奮が薄れてきていると感じる。旅先でのサプライズやハプニングが少なくなってくる。遭遇する出来事は同じでも、年の功で、もはや、想定の範囲に収まってしまい、サプライズでもハプニングでもなくなる。それを、このように文字でズバリと指摘されると、ちょっと悲しい。そして、そのうえ、最近は、Googleやらインスタやらで、何でも事前に簡単に調べられるようになったから、一層、旅の感動が味わいにくくなっているように思う。
旅は人を変える。(......)人が変わることができる機会というのが人生のうちにそう何度もあるわけではない。だからやはり、旅には出ていったほうがいい。危険はいっぱいあるけれど、困難はいっぱいあるけれど、やはり出ていったほうがいい。いろいろなところに行き、いろいろなことを経験したほうがいい、と私は思うのだ。(p314)
言葉の問題だけではなく、旅は自分の力の不足を教えてくれる。比喩的に言えば、自分の背丈を示してくれるのだ。私の肉体的な背の高さは、他国の同じ世代の旅人に劣ることはなかった。しかし、人間としての背丈が足りなかった。/この自分の背丈を知るということは、まさに旅の効用のひとつなのだ。(p336)
そうした旅(注:バックパッカーのような旅)を気軽にできるようになった若者たちに対して、私が微かに危惧を抱く点があるとすれば、旅の目的が単に「行く」ことだけになってしまっているのではないかということです。大事なのは「行く」過程で、何を「感じ」られたかということであるはずだからです。目的地に着くことよりも、そこに吹いている風を、流れている水を、降りそそいでいる光を、そして行き交う人をどう甘受できたかということのほうがはるかに大切なのです。(p342)
やはり、若いときに、沢山の旅をして、沢山のことに気づいて、感動して、興奮する、という経験をするとよいのだろうなあと、改めて思った。
でも、齢を取ってからの旅も、別の良さがあると思う。もはや、サプライズやハプニングはあまり多くはないけれど、旅先での見聞を踏まえて、歴史や社会や人間についてより深く洞察する、というような、落ち着いた楽しみ方ができるのではないかと思っている。
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以上、徒然なるままにまとめましたが、旅好きの方には、きっと共感できる部分の多いエッセイではないかと思います。特に、「昔、若い頃に、『深夜特急』を読んだ!」という方にはおススメです。『深夜特急』未読の方は、まずは『深夜特急』からお読みになるのがよいかもしれません。
ご参考になれば幸いです!
※『深夜特急』未読の方はこちらもどうぞ。文庫全6巻。
※海外旅行関係の他のおススメ書籍については、こちら(↓)も是非ご覧ください。
※私の旅のマイ・ルーティンは、こちら(↓)。