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【読書録】『最後は住みたい町に暮らす』井形慶子

今日ご紹介する本は、井形慶子著の『最後は住みたい町に暮らす』(集英社、2024年2月)。

著者は、1959年長崎県生まれの作家。28歳で出版社を立ち上げ、英国情報誌「英国生活ミスター・パートナー」を発刊。100回を超える渡英後、ロンドンにも住まいを持ち、イギリスに関する著書多数。

本書は、そんな著者の実話を綴ったエッセイだ。東京に暮らす著者には、故郷である長崎の実家に暮らす、80代後半の両親がいる。その実家の家じまいと両親の人生整理の必要性を感じ、2年間もの時間と多大な労力をかけて、東京・長崎間を何往復もして、必死でサポートした。

家じまい、遺言書づくり、引っ越し、断捨離など、ついつい後回しにしがちな老親の問題を、一つひとつクリアする様子を惜しみなく共有する。その豊富な情報量から、家じまいの実用書としても使える。それでいて、家族の関係性の変化や、家族に向き合うなかでの心の機微を丁寧に描いていて、小説風でもある。

以下、特に印象に残った箇所を引用させていただく。

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著者が両親を旅行に連れていくことになり、それがきっかけで両親の変化に気づいたというくだり。

 以前とは勝手が違う。母は知らぬ間に高齢者の階段を駆け上がったのかと思った。

p14

 知らないうちに親が違う人になったようで愕然とした。こんなに長い間、自分は両親を放置していたのかと悲しくもなった。

p15

 元気なようでも親の絶対的な持ち時間は短い。どこでどう暮らすか決断し、変えるならさっさと変えないと、老いの勢いに追いつかれてしまう。
 こうして両親と旅をしながらも、つい頭の中ではこれからのことを考え、何もかもが待ったなしなのだと焦ってしまう。

p45

遠距離で両親の家じまいのために著者が奮闘する様子を描いたくだり。

 それにしても私の日常はこれまでと180度変わってしまった。日夜、税理士、司法書士、マンション営業のMさん、親からと連絡が入り、メールを返すうち丑三つ時となる。新刊本の発売も迫っているというのに、思考は完全に長崎に捻じ曲げられている。

p71

必要なサポートを得るための人脈の重要性について触れたくだり。 

 歳を重ねると、専門職の知り合いを持っているか否かが、決断力の源になるとつくづく思う。

p124

 60代ともなると、頼れる医者と士業の情報は喉から出るほど欲しいものだ。

p137

豪邸からコンパクトなマンションへの引っ越しに際し、断捨離に苦労するくだり。

 ものがなかった時代は、お古でも何でも使えるものはありがたくいただいた。今はもらってくれる人を探す時代。価値あるものを、丁寧にきれいに使うことが必要なのだ。

p171

 つくづく「老親へのプレゼント」を考え直さねばと思った。歳を重ねた親への贈り物は、否応なしにすべてガラクタに帰すのかもしれない。(中略)
 買わない、贈らない。雑貨も装飾品もゆくゆくはゴミとなり、今回のように誰かがその後始末をすることになる。
 これからはものではなく、電話をかけたり、手紙を書いたり、食事や映画に誘ったり、時間や経験を共有していく方がいい。それがどんな贈り物にも勝るはずだ。
 これも親の家じまいに立ち会わなければ気づかなかったことだ。

p179-180

早めの家じまいをすることのメリットについて説くくだり。

 親も子も元気なうちに家じまいをするメリットは、互いの記憶が明晰なうちに不動産や保険など資産まわりに着手できることだ。作業の効率もさることながら、互いの意志を確認しながら人生の引き継ぎが完了できる。
 残る人生をどう生きたいのか、そのため、お金や不動産はどうするのか。作業をする中で初めて親の本音がわかるかもしれない。親という近くて遠かった存在に踏み込んで、大げさにいえば自分のルーツの深いところに到達できるのだ。
 私の場合は本書に書いたとおり、聞きづらかった両親のお金のことが、作業と共に明らかになっていった。そこにつながる子どもたちへの思いも。それは知ったからといってどうということもないが、知らないまま別れていくよりは相互の理解も深まり、自分の足元が固まる気がした。
 両親ともにギリギリのスタートだったが、何とか無事に終えられた。始動があと1年ずれていたらどうなっていたか分からないと今でも思う。

p249-250

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読みやすい文体で、物語調なので、スイスイ読めた。

読みながら、すっかり著者に感情移入してしまい、読後には複雑な感情に包まれた。

それは、本書のストーリーが、私のあと10年後の将来を予言するような内容だったからだ。

全てが、似ているのだ。

あと10年後には、私はアラ還になり、おそらく今と同じで東京に住んでいるだろう。私は、東京から遠く離れた地方の田舎の出身で、両親は今でも私が育った実家に住んでいる。両親は、10年後には、生きていれば80代後半の年齢になる。私の実家は、私の年齢を超える築年数の、古くて広い一軒家だ。家の中には、たくさんの家財や雑貨、衣服などがある。現在70代後半の両親は、歩行力が落ち、聴力が落ちるなど、少しずつ生活のペースが落ちてきている。古い実家の建て替えや引っ越しなどについて、必要性は感じているようだが、何ら決断をしようとしない。面倒で、できないのかもしれない。両親の資産状況については、何も知らない。

うわ・・・ヤバいじゃん。この本と同じこと、私もしなければいけないわ。

そう思うと、目の前に暗雲が立ち込めてくるような、何ともうっとおしい気持ちになった。

しかし、この本は教えてくれた。家じまいという困難な課題に立ち向うことで、老親をより深く理解することができる。老親との残り時間が少なく貴重であることに気づくことができる。自分をこの世にもたらしてくれたかけがえのない親と、別れのときまでどう接したいかを考えることができる。そして、慣れ親しんだ実家をたたむことで、自分自身の幼少期をふりかえりながら、自分の老後の過ごし方を考えるきっかけにもなる。重い課題を背負っているという憂鬱に包まれながらも、大事なことから逃げてはいけないのだ、という使命感が生まれた。

私は、団塊ジュニア、第二次ベビーブーマーだ。私と同世代で、地方出身、都会住みで、著者や私と似たような境遇にある方は、かなり多くいらっしゃるのではなかろうか。そんな方には、本書はおすすめだ。後悔のないよう、残された貴重な時間を大切にしつつ、高齢の親御さんたちとしっかり向き合っていただくとよいのではないか。私も、重い腰を上げて、少しずつ考えていきたい。一緒に頑張りましょう。

ご参考になれば幸いです!

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サザヱ
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