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京都旅を楽しくする 源氏物語

京都を歩いていると「ここは、源氏物語〇巻に~と出てきます」などと解説した札がよく見られます。「へ~、歴史ありそう」とは思っても、ピンと来ない方、多いのではないでしょうか。この記事では、源氏物語ゆかりの場所とその元ネタ、面白さの勘どころをご説明します。
※この記事は、YouTube動画『源氏物語Su-分講座 文法編No.3 若紫より小柴垣の垣間見③』の内容を、文章&画像でまとめたものです。

京都&周辺の源氏ゆかりの地ベスト5!

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源氏物語に出てくる、または平安の雰囲気を感じられるという視点で選ぶと、
1.下鴨神社
2.石山寺
3.野宮神社
4.石清水八幡宮
5.宇治上神社
が何と言ってもオススメです!

①下鴨神社

下鴨神社は、「賀茂神社」の一つです。賀茂神社には上と下、二社がありまして、そのお祭りが賀茂祭(別名:葵祭)ですね。

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この下鴨神社は、境内の森が「糺(ただす)の森」と呼ばれています。つまり冤罪を晴らしてくださる神様ということで、光源氏が須磨落ちする前、ここで悲痛な心境を歌っています。
当時の政界には、讒言とかでライバルを追い落とす事件がちょくちょくあったんですね。菅原道真とか源高明とか。なので下鴨神社を訪れたときは、
「千年前、ここで悲痛に祈っていた人がいた」
と思い起こすと、感慨ぶかいかと思います。今は心地よい散歩道なので。

②石山寺

平安貴族から見れば安近短!な行楽先。それが石山寺です。その日中に着けるし、琵琶湖ビューや舟乗りも楽しめるし、しかもご利益あらたか!という訳で。

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観音さまは、「女性でも救ってくださる仏さま」なんですね。なので、悩める貴族女性に大人気でした。『蜻蛉日記』を書いた女性(藤原道綱母、と呼ばれる人)も、夫との仲がうまく行かないってことで、ここに籠って泣き泣きお祈りしていました。

ところで。「名刹・石山寺」とかよく言われますが、メイサツってそも、どういう意味ぞや。という件を下記↓ショートコラムにまとめました。

コラム「刹」という漢字

立札の中によく出てくる「源氏物語にも~と出てくる古刹で…」という表現。「刹」という語については、こちらの超ショートnoteをご覧あれ。

③野宮神社

京都の西方、嵯峨野。こちらも、東方の石山寺同様、「ちょっと足を伸ばして訪れる景勝地」でした、平安貴族にとっては。

その嵯峨野には、平安時代、野宮という仮の神社がありました。(「ののみや」と読みます。表記は野宮も野々宮もアリ)

「仮の神社」というのは、要するに、いつも建ってる訳ではなかったんですね。斎王が伊勢へ行く直前だけ、暫定的にお籠りした宮です。

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斎王というのは、神に仕える未婚の皇族女性のことで、賀茂神社と伊勢神宮の両方に一人ずついたんですが、今回は伊勢の方にフィーチャーします。

伊勢神宮へ派遣される斎王(伊勢神「宮」なので斎宮とも呼ばれます)は、基本、天皇の代替わり時に選ばれます。それから皇居で一年身を清め、さらに都さえ出てより清らかな場所(野宮)で、潔斎の日々を過ごすんですね。それから、はるばる伊勢へ旅立っていきます。

平安貴族にとっては都が最高の地、その外なんてヒナ(ド田舎)ですから、…
【最も高貴な姫宮が、国のため一族(皇族)のため伊勢へ行く】
って、限りなく崇高に見えた訳です。光源氏が、ドロ沼愛憎劇くりひろげた六条御息所と、シミジミよいお別れが出来たのは、この場所の気高さのおかげだった、かもしれません。

④石清水八幡宮

さて、比叡山延暦寺が都の鬼門(北東の方角)の守護する聖域なら、裏鬼門を守るのが石清水八幡宮です。平安貴族には、「たいそう有難い、ご利益ある神様」ということで、現代の病人が名医を訪ねていくようなものですね、困った人々が参詣に押し寄せていました。

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実は、ルーツは九州、大分県の宇佐八幡宮にある神様です。宇佐神宮は、日本史上に不思議な存在感を持つ神社で(奈良時代の769年、宇佐八幡宮神託事件など)、そのパワーを買われて勧請、つまり神霊を分けてお招きしてきて京の裏鬼門にお祭りした訳ですね。

平安貴族は、神と仏を峻別している部分といっしょくたにしている気配、両方がありまして、八幡神は「八幡大菩薩」と仏教的にも信仰されています。のちに源氏に篤く祀られたことで武神扱いされ、のちの武家の世では、日本の津々浦々に八幡神社が建てられていきました。

…話を平安に戻しますと、源氏物語では、玉鬘という九州育ちのお姫様が石清水八幡宮を訪れています。この姫、訳アリで逃げるように帰京しまして、非常に困窮してたんですね。で「九州でも拝んでいた八幡さま、京でもお参りしましょう」と参詣し、光源氏とめぐり会って幸運をつかみました…というストーリーになっています。源氏物語、近代小説のように見えますけど、やはり平安の物語ですから、「神様仏様は大事にしましょうね、するとご利益がありますよ」という、当時のタテマエが尊重されています。

⑤宇治上神社

ラストは、宇治上神社をご紹介。

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宇治上神社、何がすばらしいって、ハコです! 建物そのもの!平安末期の建築なんですね!
いや、その点は、近くに建つ平等院鳳凰堂もそうなんですが、宇治上神社のよい点は、
【平安貴族の住んでいた家の雰囲気がよくわかる】
ことです。…たぶん、見た方ガッカリすると思います。ただのハコっぽいでしょう。柱を立てて屋根を載せただけという感じ。絢爛豪華な平安世界~♪って、実はコレなんです。

平安文学のレベルが実に高いせいで、彼女らの描く「この世の極楽のようなお屋敷~♪」ってすばらしいように錯覚しますけど、所詮は1000年前なんですね。生活水準は恐ろしく低い。なので、こういうハコに住んで生地をいっぱい着重ねて…が、あり得る最高レベルの暮らしだった訳です。こんな家に女性たちが密集して暮らしてて、「壁」は屏風や几帳だった…てそりゃ、イジメも起きたでしょうね、と冷や冷やできること、請け合いです。

まとめ

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