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ところで、愛ってなんですか? [第12回]

デビュー歌集『夜にあやまってくれ』から現在にいたるまで一貫して「愛」を詠みつづけてきた歌人・鈴木晴香さんが、愛の悩みに対してさまざまな短歌を紹介します。月一回更新予定です。バックナンバーはこちら

私はこれまで、どれだけの人と出会い、どれだけの人と別れてきたのだろう。
数えられるはずもない。それでも、時々考える。
夕焼けの歩道橋で向こうから歩いてくる人がいる。逆光で顔は見えない。私はこの人といつかどこかで出会ったことがあったろうか。これからまた巡り会うことがあるだろうか。あるいは、それぞれの人生において、ただ一度、いまこの一瞬すれ違うだけだろうか。それともこれから、運命のように言葉を交わしたり、愛し合ったりするようになるだろうか。
その人物が私の横を通り過ぎる。振り向くなら今だ。
宇宙の時間から眺めれば、人生はただ一瞬のきらめきだ。私はこの世界にほんのみじかい時間、すれ違っているだけなのかもしれない。細い指で、この世のドアをノックしただけなのかもしれない。

店のドアがひらくと、黒いスーツに黒いネクタイを締めた老人がゆらりと立っている。髪は白く、乾いている。長い間表情を作り続けてきた顔にいくつかの深い皺があり、髭の剃り跡には小さな赤い血溜まりができていた。
「お邪魔していいでしょうか」
「ええ、もちろん、お待ちしていました」
「今日でちょうど、一年になります。妻が死んで。ああ、思ったよりずいぶん長いんだな。残されたってことにまだ、慣れることができないんですよ」

死別。愛する人がこの世から去ってしまうこと。もう語り合うことができないこと。体温に触れることができないこと。思うことはできても、思われることがない(だろう)こと。なにかが自分から失われている。決定的に。その失われたものを取り返すため、いや、失なわれたものが何かを確かめるため、人は、愛する人と繋がろうとする。

誰の分なのかそんなに線香を燃やして祖父は施設へ帰る

工藤玲音『水中で口笛』(左右社)

祖父が仏壇に向かって、線香を何本も何本も燃やしている。それはあまりに多く、長い。けれど、祈り続ける祖父に尋ねることは、憚られるような気がした。遮ることはできないように思えた。これまでに見送った何人もの家族や友人のためかもしれない。
あるいは。
たったひとりのための祈りかもしれない。
祖父の内側に、深い洞穴のような孤独があることを知ってしまった。仏間には線香の香りが残されている。祖父が私には語らなかった言葉もまた、そこにある。

「ほんとうは一晩中だって燃やし続けたかったんじゃないかな。それでも足りないね。祈りは尽きないから」
「祈りとは、なんでしょうか」
「ずいぶん一方的なものだよ。だけどそうするしかないんだ。相手の時間は止まって、僕の時間だけが動いている。心は止まったようだけど、時間だけが動いているんだから」

山脈に恋人の灰撒くときも星ゆるやかに重なり合いぬ

東直子『春原さんのリコーダー』(ちくま文庫)

死ののち、骨になり、灰になった恋人を、はらはらと山脈に撒く。こんなにも軽く乾いて風に舞う恋人。ああ、確かに恋人は死んだのだと、すべて終わってしまったのだとわかる。葬送とは、こうしてひとつの結末を受け入れるための儀式だ。
けれど、すべてが損なわれてしまったようなこんな瞬間にも、星々は自転し、公転し、今まさに運命のように重なり合う星もある。たとえひとつの物語は終わっても、残されたものは流れる時間を生き続けなければならない。そして、灰もまた地球に戻り、新たな生命の源となる。
ここから新しい何かがはじまるような気がする。別れと出会いが、同時にそこにある。しずかな天啓のような輝きが、夜の空を満たしている。

「映画のようには、終わらないってことですね、人生は。僕にはどうしようもできないものがあるんだってことを、死も生も、何か大きな動きのなかにあるんだということを、確かに思います」
「どうしようもできないものをどうにか手なづけながら、私たちは生き続けなければならないのでしょうね」

はしやぎにくさうに喪服ではしやぎゐる僕の知らないきみの友だち

吉田隼人『忘却のための試論』(書肆侃侃房)

きみにはきみの人生があって、僕の知らないきみの友だちだっている。その友だちの前できみは、どんなふうに笑っていたのだろう。僕がそれを知ることは最後までなかった。僕と、きみの友だちを繋ぐのは、たったひとりきみだけなのに、そのきみがいないこの場所に僕たちは集っている。その奇妙さ。
喪服を着て、それでもおしゃべりはしたくって、だけど大きな声を出していけないっていうことはわかっていて、でも話したいことはいっぱいあって。そんな友だちを遠くで見ているしかできない。
どうしようもなく、ここにはきみがいないから。

会ふことと会はざることの境目に待つとふ不可思議の時間あり

菅原百合絵『たましひの薄衣』(書肆侃侃房)

会っている時間と会わないでいる時間。出会った二人のあいだにはそのふたつが繰り返されるのだけれど、その合間合間に顔をあらわすのが、「待つ」という時間だ。その特別な感覚。目の前にいないあなたを思い続けて佇む、奇妙に間延びした意識の踊り場。
愛する人を失ったあと、私たちはこの世という待合室でずっと待っているのかもしれない。いつかあなたにふたたび会うことを。
待つことは、生きて待つことは、祈ることそのもののように尊い。

「そうだ、そうでした、僕は妻と何度も待ち合わせをしました。携帯なんてなかったから、電話でね、12時にキノクニヤの前で、って。ちゃんとそう言ったのに会えなくて、そうしたら僕は本屋の紀伊國屋で、妻はスーパーの紀ノ国屋で待っていたんですよ。もう随分昔のことです。僕の心は今もキノクニヤの前にいるのかもしれない」
「本屋のほうの?」
「スーパーのほうですよ」

雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください

藪内亮輔『海蛇と珊瑚』(角川書店)

雨は重力に従って、何の躊躇いも、衒いもなく地上に降ることができる。でも人間は、雨のようにはうまくいかない。生きながら、悩み続けている。生きながら生きることの難しさ。
それを誰に問えばいいのだろう。こんな問いを、だれに投げかければいいのだろう。生きている誰も答えられそうにない。
線香を灯し続けたあの祖父が長く語りかけていたのは、もしかしたらこんな言葉だったのかもしれない。

***
黒いネクタイの結び目に手をやって整えてから、彼は出て行った。
祈り続けること、待ち続けること、問い続けること。残されたものは、そうやって生きてゆく。
目に、耳に、手に、あなたの記憶が残っている。
私が生きるということは、あなたが生きるということだから。

看板の電気を、今日は消さないまま、朝が来るのを待とう。
待っているあいだ、めいっぱい、めいっぱい、あなたのことを考えられる。

鈴木晴香(すずき・はるか)
1982年東京都生まれ。歌人。慶應義塾大学文学部卒業。2011年、雑誌「ダ・ヴィンチ」『短歌ください』への投稿をきっかけに作歌を始める。歌集『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)、『心がめあて』(左右社)、木下龍也との共著『荻窪メリーゴーランド』(太田出版)。2019年パリ短歌イベント短歌賞にて在フランス日本国大使館賞受賞。塔短歌会編集委員。京都大学芸術と科学リエゾンライトユニット、『西瓜』同人。現代歌人集会理事。


 


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