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A Hidden Life / 悪に立ち向かった勇者の物語

ロシア軍のウクライナ侵攻から8カ月が経とうとしています。

侵略によって多くの尊い命が失われ、あらゆる残虐行為が繰り返されるこの状況を何としても食い止めたいと、世界中の多くの人々が切に願っています。

一方ロシア国内では、この戦争に反対する勇気ある人々が逮捕、弾圧され、身の安全が脅かされています。

独裁政権下の国では、人々は選択の自由を奪われています。

もし、自分の意思に反して悪の選択を迫られたら、彼らはその選択を受け入れるしかないのでしょうか?

Terrence Malick(テレンス・マリック)氏が脚本・監督を務め、2019年に公開された歴史ドラマ映画「A Hidden Life(名もなき生涯)」は、そうした疑問について深く考える機会を与えてくれます。

これは、第二次世界大戦中、ナチスへの忠誠も兵役も拒否したオーストリアの農民Franz Jägerstätter(フランツ・イェーガーシュテッター)の物語を、実際の出来事に基づいて描いたものです。

本来、「善悪」、「正誤」の定義は、普遍的(ユニバーサル)で永久不変のものです。

ところが、人間社会では、「善悪」、「正誤」の定義は人それぞれであり、特に政治、法律、宗教の世界では、権威ある立場の者が、他者を服従させ支配するために、自分の定義を相手に受け入れさせようと権力を行使する。
そして、それが極めて容易であることを、この映画は明らかにしています。

そこで今日は、私が特に共感し、形而上学的な観点からインスピレーションを受けたシーンの台詞を、日本語に翻訳して紹介したいと思います。

<フランツが神父に兵役拒否の意志を告げる場面>

フランツ:
神父様、召集されても、兵役に就きたくありません。
私たちは罪のない人々を殺しています。
他国を侵略し、弱者を食い物にしているのです。
今や聖職者たちでさえ、このようなことをする兵士を勇者と呼び、聖人とさえ呼んでいます。
勇者というのは、その真逆の存在ではないでしょうか?
敵から故郷を守る人達のことです。

神父:このことを誰かに話しましたか?奥さんには?ご家族には?

フランツ:いいえ。

神父:
あなたの行動が家族にどんな影響を与えるか、考えるべきだとは思いませんか?
銃殺刑は免れないでしょう。

フランツ:はい。

神父:
あなたが犠牲になっても、誰の得にもなりません。
…あなたのことを司教に話してみましょう。
彼は私より賢明な方です。


<フランツと司教の対面シーン>

フランツ:
もし神が人間に自由意志を与えたのなら、私たちは自分がやったこと、やらなかったことに責任がある、そうではありませんか?
もし、私たちのリーダーが善人でははく、悪しき者だとしたら、私たちはどうしたらいいのでしょう?
私は自分の命を守りたいです。でも良心に背くことはできません。

司教:
あなたには祖国への義務がある。
教会ではそう教えています。


<召集令状が届いた時のフランツと神父の会話シーン>

神父:
人は、「真実のために」自らの命を犠牲にする権利があるとでも?
それで神が喜ぶとでも思っているのですか?
神が人間に与えたいのは平安と幸せです。
自ら苦しみを背負うことではない。

フランツ:私たちは悪に立ち向かわなければなりません。


<フランツと裁判官が二人きりで話す一場面>

裁判官:あなたの行動で、この戦争の行方が変わるとでも思っているのですか?
この法廷以外の誰かがあなたの話を聞くとでも?
誰も変わることはないのです。
世の中はこれまでと同じように流れていくのです。

中略(…)

裁判官:私を非難するつもりですか?

フランツ:あなたを非難するつもりはありません。
「あの人は悪い、私は正しい」と言っているわけではありません。
わからないこともあります。
人は道を誤ることがあるかもしれない。そして、そこから抜け出して人生をやり直すことが出来ないのです。
もしかしたら、元に戻りたくても戻れないのかもしれません。
私の中には、「自分が間違っていると思うことはできない」という、そんな感覚があるのです。


<獄中のフランツが妻に宛てた手紙の一場面>

何が何でも生き残る、ということをあきらめたとき、新しい光が差し込んでくる。
昔は、いつも時間が足りなくて焦っていた。
いま、必要なものは全部ある。
昔は、誰も許すことができなかった。
容赦なく人を批判した。
今は自分の弱さがわかるから、他人の弱さも理解できる。


「名もなき生涯」(2019年公開映画)より
翻訳:ヴィ―トリスバッハさゆり

映画の原題「A Hidden Life」は George Eliot(ジョージ・エリオット)の小説「Middlemarch (ミドルマーチ)」から引用され、その一節を含む次の文章が映画のラストに登場します。

“...for the growing good of the world is partly dependent on unhistoric acts;
and that things are not so ill with you and me as they might have been,
is half owing to the number who lived faithfully a hidden life,
and rest in unvisited tombs.”
_ George Eliot

「... 世界がより良い方向へと向かっているのは、歴史に名を残すことのない人々の行為に負うところが大きい。
また、あなたや私が、それ程ひどい目に遭わずに済んでいる理由の半分は、
人知れず信念を持って生きた人たちの存在があったからである。
そして、彼らは誰も訪ねることのない墓に眠っている。」
_ジョージ・エリオット

ジョージ・エリオットの小説「Middlemarch (ミドルマーチ)」から
翻訳:ヴィ―トリスバッハさゆり

人間はなぜ戦争をするのか、なぜ独裁政治を容認するのか、なぜ同調圧力に屈するのか、なぜ悪い行いに「No」と言えないのか、なぜ自分に都合よく物事を解釈するのか、なぜ罪や過ちを犯すのか、等の問いは、私たち人間が立ち向かうべき、乗り越えるべき課題を持っていることを示唆しています。

そして、これらの課題の根底にあるメカニズムや、「善悪」や「正誤」の普遍的(ユニバーサル)で永久不変の定義を理解しようとせず、これまでの価値観だけで暮らそうとする限り、これからの時代を生き抜くことはますます困難になっていきます。

それらを理解する上で、古代の叡智の継承である「形而上学」は、政治、法律、宗教といった枠を超えて、これからの時代を生きるすべての人にとって必要不可欠なものとなっていくことでしょう。

そして、私たちが望む戦争のない平和な世界を築くために、私たち一人ひとりができる最も重要なことは、形而上学的な視点なしには語れないということが、徐々に世の中に広まっていくことでしょう。

この記事の英語版はこちらです。


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