見出し画像

不安な気持ちになったらスピリチュアルが気になってしまったこと

熟年離婚してから、その前から傾向はあったが不安や心配に揺さぶられて、沼にハマりもがいていた。

さらには懐疑心まで生まれ、私っていつからこんなことになってしまったの?と涙したあの日が遠くて近く感じる。

解消するためにか、何かしないといけないと、色々とやった。つい最近まで。時間やお金をかけたのに、まだ振り回される自分が情けないというおまけの気持ちまでついて返ってきた。

雑然とした部屋は、落ち着かないので、気持ちの整理に、捨てて捨てて捨てまくって、捨てたことを後悔することもあったが、捨てるのは気持ちや思いみたいだ。あんなに捨てたのにまだある。

私の思考が不安を作り出していた。なぜやってもいないうちから心配するんだと別れた夫には何度も言われたことを思い出す。

思えばいつもなにか不安だった。

“不安はつくづく自分の創り出した「思考」であって、 それは事実ではない、ということに 気づき続けておくことは大切になりますね。 不安は自分の創り出しているものです、 ”

Kyokoアーユルヴェーダより

結局それはどこから来るのかと思ったら、周りからどう思われるかたくさんの人の反応を気にして相手の機嫌を取ってきたことに気がついたのだ。そう思っていないときもあった。若い頃は何でも来い、何も怖くなかったのに。

結婚しているままでは、気持ちをごまかし、日々に追われて悶々しながら生きていただろう。離婚は私にとって良い選択だったのだ。

そして、自分を大事にしていないから周りから大事にされないのだと言うことにたどり着いた。

そんなこと思いもしなかったから驚きとともに納得した。

何はさておき人のこと周りのことを第一にしてきた。困ってる人をほっておけない。

そして自分を大事にしてエステや整体、買い物などをしていたのは本当に自分を大事にしていることではなく上辺だけのことだったのだ。

不安になるのはなぜかと深掘りしたら、自分を大事にしていないことに繋がった。でも、その対処になにか良いのかと私はさらに迷走した。

インナーチャイルドヒーリングとか、ヒプノセラピーとか、ソウルヒーリングとか、が効果があるとか、やったらいいという記事もたくさん見たし、スピリチュアル界に足を踏み入れて見ようかと一瞬思ったが、やはり感覚的に違った。どうして違うとわかっていながら足を踏みいれるのだろう。早くなんとかしたい、藁にもすがりたいのだろうかこういうことが結構ある。

私はヨーガと瞑想とアーユルヴェーダで整えていくと決めた。

チョイスは人それぞれで、その人がそれが良ければよいのだろうね。

昔の上司に、アロマを使ったマッサージの勉強をしていると言ったら、「癒やすことをする人は癒やされたいのよね」と言われた。その時その人は強靭に見えた(笑)

引き寄せ、手放し色んな言葉を聞くけれど、よくわからないくせに知ったかぶりして言葉に振り回されて、また迷走しないようにしたいものだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?