マガジンのカバー画像

カフェ・ポート・ブルックリンの朝

3
世界の歌劇場で活躍してきた舞台美術家・澤松時子。いつしか彼女は〈マダム〉というシンプルな尊称で呼ばれるようになっていた。そんなマダムは、一通の依頼メールを受けて悩んでいた──。「…
運営しているクリエイター

記事一覧

小説「カフェ・ポート・ブルックリンの朝」第3話(最終話)

小説「カフェ・ポート・ブルックリンの朝」第3話(最終話)

「マダム、考え事ですか?」

 いつの間にか席に戻っていた栞が、声をかける。そして、大きなジャーに入ったアイスカフェラテの氷をかき混ぜる。からんからんという音が涼しげに響いた。その音を聴いているうちに、口がすっと開いた。

「そうね、考え事。珍しく、悩んじゃって」

 マダムは、自分の唇から放たれた言葉に軽い驚きを覚えた。これまで重要な判断は全て、自分で決めてきた。相談されても、することは殆どなか

もっとみる
小説「カフェ・ポート・ブルックリンの朝」第2話(全3話)

小説「カフェ・ポート・ブルックリンの朝」第2話(全3話)

「マダム、おはようございます」

 作業に没頭していると、頭上に明るい声が聞こえて、マダム──舞台美術家・澤松時子は顔を上げた。マンション「ヘーヴェ駒込」の住人、堀口栞の笑顔を確認し、マダムも口元が緩んだ。手で座席を示すと、栞はぺこりとお辞儀をして、腰を下ろした。カフェ・ポート・ブルックリンのマスターが水の入ったグラスを持って来る。

「朝は、ご注文をレジでお願いしますね」
「あ、そうでしたね」

もっとみる
小説「カフェ・ポート・ブルックリンの朝」第1話(全3話)

小説「カフェ・ポート・ブルックリンの朝」第1話(全3話)

「お待たせいたしました、モーニングのガレットです」
「ありがとう、マスタ—」

 カフェ・ポート・ブルックリンのマスタ—は、人の良い笑顔を浮かべた。銀髪のショートカットに、鮮やかな赤い口紅が印象的な女性──世界の歌劇場で「マダム」というシンプルな尊称で呼ばれてきた、舞台美術家・澤松時子も、たおやかな微笑みで返す。

「今日は朝からなんですね、マダム」
「ええ。ちょっと、ゆっくり考えをまとめたくて」

もっとみる