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カテゴライズについて思うこと

 MBTIや多様化するHSPの類型によって自分自身をカテゴライズ、言い換えればある種社会の中での立ち位置を明確にすることが流行り(もはや定番?)になっています。こうしたカテゴライズの試みには利点もさることながら欠点もあり、さまざまな議論があるかと思われます。そんな中で、私が考えていることをまとめてみました。論文ではないので私の主観や気持ち・経験ベースになってしまうことをご了承ください。


1.はじめに カテゴライズの現状

 いつの時代もカテゴライズの流行はあるかと思いますが、大学生の私が生きてきた中で感じた最も大きなカテゴライズの波はやはりMBTIです。数年前から徐々に感じてはいましたが、今では自己紹介で名前の次に重視される情報だと言っても過言ではありません。
 さらに少し前に遡ると、HSPというパーソナリティを表現する言葉が流行り出しました。当時私はHSPというその言葉しか存じ上げませんでしたが、さまざまな類型があるようです。
 そして自己をカテゴライズするだけではなく、どちらかといえば他者から受けるカテゴライズもあります。血液型占いという名の疑似科学がその一般的な例かと思います。
 例に挙げたカテゴライズ方式は、非科学的で根拠がないと一掃されがちですが、これらを人々が利用する真の目的が、パーソナリティの理解ではなくカテゴライズにあることはもう周知の事実なのではないでしょうか。今回はカテゴライズとしての役割を前提として、利点と欠点を考えていこうかと思います。

2.カテゴライズの利点

 人々がカテゴライズをしたがるのは、カテゴライズに利点があるからです。ではそもそもなぜカテゴライズしたがるのか、その問いを考える中で利点をみつけていきます。以下では私が考えうる要因を列挙してみました。


●自発的なカテゴライズの要因

 まずはMBTIに代表される自分自身でカテゴライズするときの要因について考えました。

 自己理解 カテゴライズによって自分という人間を端的に表せるということが、カテゴライズを魅力的にするのではないでしょうか。本来自己理解というのはかなりコストがかかるものです。人間は矛盾する生き物であり、その矛盾を抱えながら自分を誤魔化していくうちに本当の自分が分からなくなっていきます。カテゴライズはその矛盾や誤魔化しを取っ払って自分の生き方や信念に気づかせてくれる点で有意義に感じられるものです。

 理想の自分へのブランディング 人は誰しも理想の姿、ないしは見せたい自分があるという前提に基づいた要因です。MBTI(一般的にインターネット上で行われるものに限る)やHSPは自己申告であり、本質的にその個人にそのカテゴライズが合っているのかと言われれば、怪しいところがあります。MBTIに限って言えば、診断結果は理想の姿を写したものにすぎないということが往々にしてあるということです。しかしそれを裏返せば、見せたい姿に自分をブランディングするツールとして利用できるということでもあります。前述した通り、自己紹介で使われるようなカテゴライズは自己ブランディングとしての要素が強いと思われます。

 個性の追求 先ほど自己理解にはコストがかかると述べました。自己理解をすればするほど、矛盾の中で一般化されていく自分に虚しくなるのでは、というのが私の見解です。仮にでもカテゴライズの中で自分の立ち位置を確保することができれば、その種の個性を持った人間として振る舞うことができます。

●受け身なカテゴライズの要因 

 次に、血液型占いのように他者をカテゴライズする要因について考えました。

 情報の整理 受け身なカテゴライズの要因はこれに尽きるのではと考えています。出会う人々それぞれを独立した個性ある人間として認識するには、コストがかかりすぎます。周囲の人間をカテゴライズすることで情報を整理して、人間関係を認識しやすくしているのではないでしょうか。



 以上に挙げたカテゴライズをする要因は、すべてカテゴライズの利点につながっています。
 ・自己理解を簡素にする
 ・自己ブランディングができる
 ・個性を感じることができる
 ・情報を整理することができる
 これらの利点を踏まえた上で欠点についても考えていきます。

3.カテゴライズの欠点

 ここまで利点を見てきたわけですが、ここからは欠点を挙げていきます。

 自己を見失う 「私はこういう人間だ」とカテゴライズを使って認識することによって、コストは減るかもしれません。しかし、その型に囚われることは望ましいことなのでしょうか。自分で自分にレッテルを貼ることで、そこから抜け出せなくなってしまいます。真の自己理解には及ばないのです。

 個性の消失 人間にはその型に当てはまらない性質や、横断する性質もあります。MBTIを例にすると、人間の性質を四つの項目だけで表すことは当然できません。さらに「〇〇タイプのこういう部分は当てはまるけど⬜︎⬜︎タイプのこういう部分も当てはまる」といった種類間の横断もあり得ます。それらを無視してカテゴライズの枠に当てはめるのはいささか強引な試みであり、個性を見えなくしてしまいます。カテゴライズは個性を感じやすいという利点がある中で、逆に個性を潰しかねないということです。

 人間関係の機会喪失 カテゴライズすることによって、対峙した人物をあらかじめ避けてしまうこともあるかもしれません。カテゴライズは他者理解に有効であると捉えることもできます。しかし、果たして自分と合わないと分かっている相手を理解することと、初めから自分と仲良くなれそうな人と関わっていくこと、どちらを選択するでしょうか。こうして手間のかかる人間関係構築を避けることでコミュニティが縮小してしまうように思います。実際問題自分と合わない型の人を避けるかと言われればそうではないですが、その可能性はありうるといったところです。

 配慮の強要 カテゴライズで自己ブランディングが容易になったことにより、自分の性質を盾にして他者へ配慮を強要することも多くなったように思います。(私は人の気持ちが汲み取れないから)傷つけてちゃっても仕方がないよね、(私は傷つきやすいから)人一倍丁重に扱ってね、など。カテゴライズは他者へ変化を強いたり我慢を強要したりしてもいい理由にはなりません。自分の弱さを正当化するツールにもなりません。型にうまく嵌め込むことができた人は生きやすくなり、嵌め込めなかった人はより生きづらくなることも起こりうるのではないかと思います。

4.カテゴライズをしていく上で気をつけたいこと

 利点と欠点を見てきた中で、私はカテゴライズを否定したいわけではなく効果的に使ってより多くの人が楽に生きることができれば良いなと思っています。そこで、カテゴライズする上で私が気をつけたいと思っていることを挙げます。
 第一に、カテゴライズした結果が人間の全てではないと理解しておくことです。自分自身がカテゴライズした結果どおりの行動をしなければならないなんてことは絶対にありません。そして、過去も今も未来も同じ自分である必要もありません。カテゴライズした結果はいつ変わっても良いし、矛盾しても良いのだということを理解しておきたいです。
 第二に、カテゴライズした結果を自分の弱さを正当化するツールには使わないということです。カテゴライズは弱さを自分で認めることにはつながるかもしれませんが、それを理由に他者になんらの不利益も被らせてはいけないと思っています。しかし、自分の弱さを知ることで自分が自分に優しくすることはできます。自分にも他人にも思いやりの心を持ちたいという意味です。
 第三に、特定の個人をカテゴライズして分かった気にならないということです。「こんな人もいる」と理解することは良いかもしれません。しかし、「あの人は〇〇型だから〜なんだ」と特定の個人を分かった気になるのは避けたいです。これは占いをする自分自身への自戒も含まれています。

5.まとめ

 総じてカテゴライズは有効に使うことができれば自己理解を簡素にできるし、見せたい自分を操作することもできます。そして自分の弱さを認めることで自己受容にもつながります。また、他者理解も容易になります。繰り返しになりますが、私のプロフィールにもMBTIを載せているとおり、カテゴライズには比較的賛成派です。
 また、上に挙げたカテゴライズの利点と欠点は、体系化したものではなく私の中で感じたものです。もっとあるかもしれませんし、統合できるかもしれません。みなさんの見解も教えていただけると今後の私の考え方の幅が広がると思います。
 カテゴライズを上手に使って楽に生きていきたいですね。大学生の戯言をここまで読んでいただきありがとうございました!みなさんに幸あれ🕊️

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