「変化しないものはないのだから」
私が辛くて仕方なかったあの頃。その時書いていた日記は、見返すこともできなくて、切り取って捨ててしまった。
きっと「あぁ、そんなこともあったな。」なんて懐かしい思い出にすることはできないだろうし、できれば綺麗さっぱり無くしてしまいたいから。
私はどちらかといえば、0か100、という性格をしている。
時より思い出す良い思い出も、全部なかったことにして、苦しかった思いと一緒に消えてしまって欲しい派なのだ。
だからグレーな関係はどうしても受け入れられないし、きっとそれは損することが多いのも分かっているが、行動してしまってから「しまった」と思う癖は無くならない。
そのくせして、後悔だけは人一倍しっかりする。もう悔やんでも仕方ないことをクヨクヨとしてしまう。0か100か、こんな時もこのはっきりした性格を生かせれば良いものを、そう上手くいかない。
最近「死にたいけどトッポッキは食べたい」という本を読んだ。
題名を読んだだけで「あぁ、なんか分かる」と思った。
私も元気が無くてもお腹は空くし、昨日だって何となく悲しくなりながら、夜中に毎週キングコングのYouTubeを見ながら白玉ぜんざいを食べたし。
元気がないのにお腹がすく自分がおかしくて、めちゃくちゃに病んでいた時はご飯さえ食べられなかったのだから、きっと今は相対的に見たら元気なはずなのに。
我慢できないほどつらい時も、友だちの冗談に笑ったり、そうしながら心のどこかで虚しさを感じ、それでいてお腹がすいたからと、トッポッキを食べに行く自分が可笑しかった。ひどく憂鬱なわけでも幸せなわけでもない、捉えどころのない気分に苦しめられた。これらの感情が同時に起きるということを知らなかっただけに、なおさらつらかった。
こんな言葉で始まるこの本は、気分変調性障害(主要うつ病とは異なり、軽度のうつ状態が長期間続くもの)に10年以上悩まされる主人公が、精神科医との対談の様子を綴ったものである。
韓国で大人気をはくし、日本でも有名になったこの本の名前は知っていたが私が手に取ったのは最近のことである。
私も、友達といる時間はとても楽しくて、大学4年間でとても充実しているはずなのに、この虚しさはなんだろうかと、前々からnoteにも書いていた。
虚しさを感じながらも、お腹は空くし、美味しいものはやっぱり美味しいし。このうまく言い表せない感情を、この本は表現してくれている気がした。
ー死にたいけど、トッポッキは食べたい
分かりやすくてすごく素敵な題名だと思った。
「死」と、食べるという「生」が同じ土俵にいることを、私もやっぱりおかしいと思っていたし、死にたくなるような虚しさを感じながら「食べている自分」に情けなささえ感じていた。だから周りに話すことは憚られるし。
しかし、同じような気持ちを感じている人がいることに、なんとなく安堵感を感じたし、この著者も始まりにこんなことを話している。
私のように表面的には元気に見えて、内側に膿を抱えているような、中途半端な人々が気になる。
できればこの本によって、「私だけじゃなかった」、あるいは、「世の中にはこんな人もいるんだ」ということを知ってもらうことができたらと思っている。
そうそう。
膿がある人もその部分は見せないようにして生きているだけなのに、なぜか膿を持つのは自分だけであるかのように感じて苦しくなるんだと。
こんなことを考えていると、ふと、思い出した言葉があった。
私が過去最高に悲しかった時。私の友達も同じような思いをした時に
「悲しくて死んじゃうかと思った。」
と言っていたがその通り。悲しくて悲しくて死んじゃうかと思った時。
その気持ちが辛くて、苦しくて、死んじゃうかと思った時。
終わりが見えなくて、いつまでこんなに苦しいんだと思っていた。
その頃に、noteで出会った方と個人的に話す機会があった。
その方も同じような経験をしていて、初めてお話ししてから、その後もお互いなんとなく悲しくなると、電話をして話したりしていた。
ある時、その方に苦しくて仕方ないんだと、話したことがあった。私のその言葉に
「変化しないものはないんですよ。良いことも悪いことも、ずっと変わらないものはないんです。一度経験をしていると変化する事を分かっているから楽なんですけどね。」
とその人は話してくれた。未だに思い出すその言葉は、ずっと私の心を支えてくれる。
良いことも悪いことも、ずっと変化しないものはない。
そう思うと頑張ることができた。だからこの言葉は、これからもずっと私の心の中で、大切に唱えていくんだと思う。
心の中にある言葉は、いつもそっと私の背中を押してくれる。
だから、この言葉をくれたあなたに感謝を。