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感情はゴミなのか宝物なのか

失敗した。
ふられたぁ。
裏切られた…!

大きな感情の渦にのみ込まれたとき。

苦しくって眠れなくて、食欲も落ちて、な~んにもする気がおこらず、ただじっとして渦が弱まるのを待っていました。

少し落ち着くとそこから一刻も抜け出すために、お笑い番組を見たり、美味しいものを食べたり、気晴らしに出かけたりして、負の感情を書き換えるためのあれこれをつくしていたんです。


「感情をコントロールする方法」や「感情に支配されない方法」「怒りという感情のゴミをすぐに消すメソッド」など、感情に関する知識はまだまだ極端で、社会全体的に“触れてはいけない場所”という認識が根深い部分。

なぜなら学校や職場など社会で、家庭の中でも、迷惑をかけたり失敗したりしたとき「どんな気持ちだった?本当はなにを大事にしたかった?」と聞かれることはほとんどなく、正解を叩きこまれ、謝罪させられることが一般的です。


そんな中、たくましく生き抜いてきたわたしたちにとって感情は邪魔なもの。
周囲に合わせて正解を進むほうが、傷つかずに生きていける。


NVCを学び始めたとき、「感情は自分の大事にしているものを教えてくれるサインなんだよ」と言われてもよく分からないし怖かった。

それでも頑張って向き合おうと思ったとき、感情ってなに!?とパニックになりました。

当時のわたしが、ともに学んだ友人たちへ送った文章です。


日々の感情とニーズを観察する。
ワークシートに書くことが見つからない。
わたしの感情は動いていないのだろうか。

小さな感情の動きはあります。
これくらいのこと、大したことじゃないと思うようなこと。

みんなの声を聞いて深く潜っていく様子に焦る。


わたしは自分が傷つかないよう、セーブし続けている。
過去の感情には蓋をしている。

どんな場所でも、目立たず小さく光ることを意識して生きています。
変わりたいと思って参加したのに、どう変わったら良いか分からない。

この嘆きが、自分と向きあうスタートになりました。



最初は日常にこぼれている小さな感情から拾いました。
「あ、わたし今イライラしてるな」とか「恥ずかしいと思っている感情をないものにしようとしてる」などなど。

慣れるまでは探すのに一苦労。
無自覚に相手にぶつけていたり、自分にぶつけることも多かったです。


慣れてきたら慣れてきたで大変でした。
見えないようにしていたものがクリアになっていくので疲れる~。



そのたびに自分や友人と対話をして、本当はほしかったものを探しました。
ひとりで頑張らず、誰かと話せたことが続いた秘訣だなと思っています。


そんな時間を重ねるうち、少しずつ捉えかたが変わっていきました。

before
「あの人が〇〇だから、ムカついた」
「あの人のせいで〇〇になった」

     ↓

after
「あの人が〇〇だからムカついたのは、わたしが△△を大事にしたかったから」
「あの人のせいで〇〇になったと感じるのは、わたしが本当は△△がほしかったからなんだ…」
【気づき】それくらいわたしは△△が大事なんだな。


大事にしてきたものがパズルのピースみたいに集まりだして、どんどん形になっていきました。
各パズルのピースが、どこからやって来たかも分かってきました。

自分が大事にしてきたものを確認することができと同時に、相手との違いを自然と理解するができた。


『普通はこうでしょ?なんで分からないの?』と相手を責めたり排除しようとしたりするエネルギーが湧きあがるのは、自分と相手は違う人間だ!と頭で分かっていても、理解するところまで至っていないから。

理解できなくて当然なんです。
わたしたちは自分の理解や、感情の扱い方を誰にも教わっていないのですから。


自分を理解すればするほど、相手との境界線がなくなっていくのが面白くてNVCを学び続けています。

感情を掬い見ることにも慣れ、愉しむことができるようになりました。
感情が動いたとき、そこに宝物があるんだって分かるから。
感情をないものにしていたときと比べ、ため込まないので心も身体も軽いです。


新たなステップへ進みたいとき、今までの生き方に限界を感じているとき。
外側に学びを拾いに行くのもいいと思うのですが、内側の整理もおすすめです。

感情をゴミにするのも、宝物にするのも自分次第。
モノの断捨離のように、心に溜めているものを整理してみませんか。




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