「競い合い」が苦手な私が辿り着いた場所
昨日のnoteでもちょこっと触れましたが、私は昔から「競い合うこと」に苦手意識を感じていました。
・運動会のかけっこ
・学校のテスト
・進学受験
・クラブの大会
改めて考えると私たちが生きている世界には小さな頃から「競い合う環境」が用意されている。もちろんそれらの競い合いを経て得られる学びや成長、団結力なんかもあると思います。
けれど、その世界に足を踏み入れると「みんな1位を目指さなければいけない」みたいな空気にずっと小さな疑問を持ち続けていました。
「私は楽しく楽器を吹きたいだけなのに、何でこんなにも怒られながらピリピリした空気で練習しなきゃいけないんだ」と感じていた中学時代
「それぞれ目指す進路は違うし得意科目も違うのに何でいつも同じ土俵の上で評価されるんだ」と息苦しさを感じていた高校時代
「それぞれの個性が輝く職業なはずなのに、どうして数字だけで価値を決められなければいけないんだ」と辛くなったハンドメイド作家としての経験
そして何より、そうやって「競い合い」や「比較」をされる事でどんどん自分が嫌いになっていく感覚
比較される相手を歪んだ感情で否定したくなっている「醜い自分」
とにかく、私にとって「競い合い」は全てが負のループに陥る苦手なものなのです。
でもだからといって、
私たちがいる世界は「競争社会」であり、生きている限り「競い合い」の土俵に登らなければならない。
そんな絶望的な事実を変えてくれた考えが
「自分がオリジナルになること」でした。
以前のnoteでも書いたことがあるのですが、「自分」は決して1つのカテゴリーで出来上がっている訳ではない。
いくつものカテゴリー(年齢や職業)を掛け合わせて「今の自分」が出来上がっていて、それが「オリジナルな自分」なのです。
「誰からも比べられず、自分も比べなくていい」そんな環境を作る
「20代でハンドメイド作家をしている」だけのフィールドなら多くの同じような境遇の人と「競い合い」を求められる。
でも、「20代でハンドメイド作家をしつつnoteやYouTubeで自分の想いを発信していて、いつかは人々に小さな自信を与えられる様な本を出版したいという夢がある」そんなフィールドに立つ人は前者より圧倒的に少ないはずだ。
こうしてどんなに小さなカテゴリーでも「自分の要素」として掛け合わせ「競い合う相手」が存在しないくらいオリジナルな存在を目指す。
それが「競い合い」が苦手な私が辿り着いた場所なのです。
sayamo
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