10.【心の中のかけら】 輪郭のある夢
新しい年が始まり、もうすぐで2週間が過ぎようとしている。時の流れの早さにはほとほと驚かされるが、不思議なことに、南フランスに訪れた時から3年が経つと考えると、時の流れに対してあまり“早い”とは感じていない。(わたしにとって南フランスに訪れたことは、物事を考える起点になりつつある。)
この差は一体何なのだろう。1年をひとつのまとまりとしてみると“早い”。しかし、それが3つ集まると、“早い”という感覚はどうも見当たらないのだ。もしかすると、物質量が増えると“軽い”が次第に“重い”変化していくように、速度を積み重ねることで“早い”が“遅い”へと変わっていくのだろうか…。
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わたしは、この人生の終わりを南フランスで迎えることが今の夢で、そのためにどこにいても仕事ができるスキルを身につけ、数年後にはフランスに移住するつもりでいた。そう考えると、夢とはいえ、少し長く感じる道のりに気が遠くなりかけるのだが、昨日歩きながらふとひとつの疑問が浮かんできた。
『果たして本当に移住しなくてはいけないのだろうか?』
わたしはここ5年ほど、神戸に住まいながら京都と東京の3地点を行き来している。1ヶ月のうち三分の一から半分ほどは旅に出て、生活の拠点を移しているイメージだ。
同じところに居続けることが苦手なわたしにとって、この生活はとても快適で、今やそれぞれの場所にも自分の日常が生まれてきていることを感じている。(きっと時間と体力に余裕があれば、引越しが趣味になっていたように思う。)
そう考えると、フランスも最初は旅から始めればいいのではないだろうか。数ヶ月に一度フランスに赴き、そこで1ヶ月ほど暮らすことができれば、わたしはそれだけで十分かも知れない。
この考えを後押ししている理由がひとつある。わたしは10代から20代前半のころ、東京に住むことに憧れ、同時に受験に就職、異動とそのチャンスが3回もあったのだが、結局今日まで東京に住まいを移すことは一度もなかった。それどころか、今こうして月に一度東京に赴いても、ここで生活をしたいという気持ちは、昔のようには見当たらない。
あのころのわたしは、自分自身や置かれた環境と向き合わず、外側にばかり求めていた。そのわたしにとって“東京”は、現実から抜け出した先の煌びやかな象徴だったのだ。『東京に行けば、今の自分ではなく、なりたい自分になれるのではないか。』と。
でも、三度の機会を手放したその時々のわたしは、きっと心のどこかで“東京でなにをしたいのか”が分からない自分に、違和感を感じていたのだと思う。
自分のことが把握できるようになってきた今だからこそ感じることは、きっとわたしは東京都心での生活は向いていないだろう、ということ。わたしは海や川が身近にある穏やかな場所が好きだし、相反して電線や高層階のビル、原色のネオンに看板、それから人混みや地下鉄、満員電車がとんでもなく苦手なのだ。
もちろんその場所に住うからこそ得られる経験もあるだろう。ただ、大きな変化に弱いわたしにとって、お試しから始めてみることもひとつの可能性だ。なにより、ハードルが高すぎて、手も足も出ないよりかはよっぽどいい。
そう考えると、夢のまた夢だったフランスでの日常は、少しだけ近くなるような気がしている。シャンブルドットや短期アパートを検索すれば、一気にその現実味も増す。これなら今の延長線上で、わたしにもできるかもしれない。
わたしには昔から自分の描く夢が二種類あると感じていて、ひとつはふわふわとした捉えられない夢。そしてもうひとつは、夢を見る一方で、冷静に“あぁ、わたしはきっとこうなっているんだろうな”と捉えられる夢。
この文を綴りわくわくしながらも、その自分を冷静に見つめるわたしがいる。きっとこの夢は現実になるのだろうと感じた。
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