7.【心の中のかけら】 夜について
とある夜、美しい満月を眺めながら夜を過ごした。
きっとこうして何百年も前から、人々は月を眺めていたのだろう。その年月に思いを馳せるだけで、わたしはいつも涙がこみ上げそうになる。
全てが変わりゆく中で、この月はずっとここにあり、地球の夜を澄んだ光で照らし続けているのだ。その気が遠くなるような美しさに憧れて、わたしは夜に恋し続けているのかもしれない。
わたしが夜に恋をしていると気づいたのは、幼稚園のころ。夏の夜が特に大好きだったわたしは、飽きもせず、ずっと夜空を眺めていた。
図書館では何度も同じ天体に関する本を借りていて、そんなわたしを見かねた両親が同じものを買ってくれた記憶が、今でも昨日のことのように思い返される。
中学生になり、少し自由に行動ができるようになると、夏の夜をもっと知りたくて、どうにか家に帰らなくて済む方法はないかと毎日考えていた。そしてこのあたりから、わたしは、『ここではないどこか遠くに行きたい』という気持ちを持て余すようになる。
一体なにがわたしの心をここまで掴んでいるのかもわからないまま、歳を重ねていった。その狭間で、わたしはひとつの勘違いをおこすようになる。
“夜が好き”と言う気持ちが、いつしか“夜遊びが好き”という認識に変わり、大学生になると夜な夜な遊び歩くようになったのだ。わたしの本当の思いは別のところにあるはずなのに、それにも気づかず、ただ無意味な時間を重ねていくようになった。
幸いなことに、途中で"わたしは夜遊びが好きなわけではない"と気づき、夜遊びからは一気に足を洗ったが、それでも夜に対する憧れは変わらなかった。
夜は、わたしに自由を与えてくれる気がするのだ。温かい陽の光は、たまらなく幸せで大好きだけれど、あまりにも色々なものが見えすぎてしまうから。わたしはどうも夜に紛れたくなる。暗闇にほんのりと輝くほどの儚く美しい月光が、わたしには心地良い。
遠くに見えるいくつもの人工的な光のもとには、きっとその数だけ人々の笑顔や幸せ、人生がある。それぞれが愛する人のいる場所へと帰っていく。あの光たちは、わたしにとって幸せがそこにある証。
夜には、わたしの大切なものが詰まっているのかもしれない。愛と、自由と、美しさ。すべてがこの夜にある。
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