「ありのままで生きることの難しさ」
私は、ありのままで生きることへの難しさを常に感じていた。
本来の自分のままで生きると、ただの野生児にようになってしまう。(そう感じてしまう)
社会では様々な人と関わり、協力し合って生きていかなければならない。そういった中で、本来の自分を通しながら生きていくことは非常に困難に思えた。
相手の気持ちを汲み取り、相手がその時望む言葉を発すれば、様々な場面で大抵上手くいった。そうなると自分が思ったことをストレートに伝えることの必要性を感じなかったし、それでは上手くいかないと感じた。
しかし次第に、
「本来の自分で生きるということは、どういったことなのか?」
「自分の本音を隠し、相手の望む言動をとることなのか?」
こんなことを考えるようになった。
理由は、表面上、他者との関係が円滑であることに何の価値も感じなくなってきたからだ。
・本来の自分で生きることができたら、どんなに心地良いのだろうか。
・表面上だけでなく、本当に円滑な関係が築くことができたら、どんなに価値を感じるだろうか。
このような興味が沸いてきた。
しかし以前の私はありのままの自分で生きることは、我儘な自分でいることだと思い込んでいた。
・自分がやりたくない仕事は受けない
・関わりたくない人とは仕事に支障がでても関わらない
・嫌いな勉強はしない
・自分の意見は一切曲げない
このような我を通した結果待ち受けるのは、社会不適合の烙印だ。
「ありのままの自分で生きながら、社会に適応していくには、どのようにしたらよいのだろうか......」
こんな問いが何年も私に付きまとった。
「ありのままで生きる」ということに対して、私が最終的な決断ができるのは恐らく死ぬ間際だと思う。それまでに何度だって考えが変わる気がしてならないからだ。
信念は変化し、発達し、自由に選択することができるものであると常々感じているからだ。
幼少期や思春期には、学校教育や親の子育ての影響に諸に受け、
「アイデンティティ=周囲の大人の考え」
となっていることも稀ではないが、成長し様々な経験を通して自分オリジナルのアイデンティティを創っていくことはいくらでも可能だ。
では今現在は、この問いに対して私がどんな結論を出しているかというと、「自分が何を望んでいるのかを知ること」である。
「人生で、どんな生き方をして、何を得たいのか?」を考えることで、その人にとっての答えを得られると感じている。
そう、「ありのままで生きる」ということは人によって異なるのだ。
例えば私の場合20代後半になり、ようやく自分がどのように生きたいのかを知ることができた。
・困っている人を助けたい
・人の悩みを聞いてあげたい
・感謝する気持ちを常にもっていたい
・祖父の最期に立ち会い
・川がある街に住みたい
・自分で家を借りて暮らしたい
・祖父、母、妹、息子を常に愛していたい
かなりアバウトに、こんな願望が自分の軸にはある。
これらが満たされていれば、私は人生において大いに満足感を得ることができると実感している。
自分が満足感を得られる瞬間は、どんな状況であるのかを把握することで、「自分はどのように生きていきたいのか」という問いの答えを知ることができる。
そしてそれを把握することができたら、「それを得るためにはどう生きるのか?」を考え、実行していくことで「ありのままの自分で生きる」ことができるように思う。
「ありのままで生きる」ということは、決して我を通したり、我儘を言ってみたりすることではなく、自分が幸せを感じるためにはどのように生きるべきかを把握し実践することだけだ。
至ってシンプルで、無理のない生き方だと感じている。
友人が欲しいと願っている宝物が、自分にとって宝物であるとは限らない。無理をしてその宝の物を手に入れる人生は自分にとって本当に必要なことなのだろうか。
しかし自分が本当に望むものを手にして、自分の心が満たされ、人生に充実感を得ることができても、そこで終わりではない。
そういった状態の自分なら、恋人、家族、友人等、自分が好きな人たちにより多くの愛情やエネルギーを送ることができる。
家族や恋人に幸運な出来事が起こると自分も嬉しくなるように、周囲の人間も自分が幸だと嬉しいし、自然と力を受け取っているはずだ。
ありのままの自分で生きることに満足感を得ると、ありのままで生きることへの充実感を感じ、周囲へ幸せが伝染し、さらにはその充実感で今までよりも選択の幅が広がるかもしれない。
お腹が満たされている状態と、ひどく空腹な状態ではどちらが長い距離を走ることができるだろうか。
私が人生で本当に求めていたのは、満たされなかった父性を満たしてくれる男性や金銭的に安定した生活ではなく、私が心から息子や家族、友人の存在に感謝して愛することだと気が付いた。
「外から何を与えられるのか」ばかりに目を向けていたが、実際目を向けるべきことは、「自分がどうあるか」という内側にある至ってシンプルなものだけだったのだ。
そして自分の経験を、今現在悩んでいる人に発信することで少しでも何かに役立って欲しいという想いがある。
今最高に満たされているし、幸せであるからこそ、そう思えるのだと感じる。
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以下のサイコパスシリーズの中から抜粋したものです!
ご興味あるかたは、ぜひご覧ください。m(__)m
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