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(感想)絶妙に通じ合う

(以下、筆者Xから転記)

10/10『お寺でオペラ!Tiny Opera「義血侠血」』観賞。徳田秋聲ゆかりの静明寺の本堂で、泉鏡花の作品を、エスペラント語でオペラ化したものを、ソプラノ、テノール、日本舞踊、舞踏、ピアノ、バイオリンのプレイヤーが演ずる。一体どういうもの?と思われるだろうが、良いものを観たと感じたのだ。

当日パンフにあらすじや、歌詞の対訳が掲載されていて、それをざっと読んでいたからか、言語として理解できないエスペラント語の歌でも抵抗なく聴いていられた。むしろ、わからない言葉だからこそ、歌そのもの、音そのものを味わうことができたのかもしれない。

ソプラノとテノール、二人での歌唱だが、距離の近さもあり素晴らしい迫力。先に書いたように歌や声、メロディを純粋に受け止められたと思う。だが、物語が全くわからないわけでもない。それは日本舞踊と舞踏の二人が、音楽と一体になって登場人物を演じているからだ。

わかりやすい例えになるが、舞踏を地とするならば、日本舞踊は水のよう。どちらも違う方法での土地とのつながりを感じさせる動きを見せる。舞踏も日本舞踊も、それぞれが持つ本質から離れることはないのだろうが、それでいながら、互いに影響を与え合っているように思えた。

あらすじは本尊前に吊るされた黒い紗幕に白い文字で、簡潔に表示されていた。紗幕を隔てた演出や照明効果もあり、寺の本堂という場も活かされていた。

近藤洋平作曲の音楽はドラマ性が高く、ピアノとバイオリンの演奏も熱量を高く放ち、全体として勢いのある動的な作品になっていたと感じる。それは観客を引きつける大きな要因になっていたのではないか。

舞踏は本来、音楽に合わせたりはしないし、役として踊ることもないそうだが、この作品では音の存在があってこその動きが起きていたようである。珍しい舞踏が観られたのではないか。

舞踏と日本舞踊、違う踊りが近づき、呼応し、その間に互いをつなげる空気が生まれていたように思う。日本の踊りと、オペラも同様に、エスペラント語が仲介することによって、不思議になじむ感覚がつくられていたように思う。

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