見出し画像

"地域"のために何をなすか 24.1.13-1.19

今回は音声入力をベースに書いてみる。PCよりもスマホの方が誤変換が少ない印象。音声入力だと、まだ整理できていないこともだらだら喋ってしまい、緩慢な文章になる。

祝日から始まった1週間。内陸部での取材1本の他は釜石のシェアオフィスを拠点にオンラインでの打ち合わせなどをしつつ、原稿を書く。
ランチミーティングのほか、夜は1つの会議と1つの会食。これぐらいの感じが疲れなくて、ちょうどいい塩梅だなと思う。1月は思いのほか週末が忙しいので、平日に移動が多いと、やはり疲れる。
……と言いながら。来週、再来週は出張が続く。


平日の書くことが枯渇気味問題

この「複業7dasy」という1週間の振り返りを始めて約半年。毎週毎週書くに値することが次々とあったのだけれども、今週のお仕事は今のタイミングでは書けないことなども多く、あまり書くことがない。

原稿を書く=アウトプット が多めだと、現場で心を動かされること=取材=インプット が多い週と比べると、書き残したいという心動かされる瞬間が少ない。

どこの地方にも豊かな文化がある

とは言いながら、今週は、先月書いた埼玉の高校時代の同級生のご縁で、金沢の企業さんについての記事をまとめる仕事に着手し、知らないことをいっぱい知ることができて、テンションが上がる。

私は東北についてはある程度、その歴史や文化について学んできたという自負はあるけれども、他の地域については無知だ。
なので、東北(なかでも岩手、宮城、一部青森)以外の土地に触れる機会があると、あらゆる土地に豊饒な文化があり、独自の食や手仕事があるんだなということを実感させられる。
どこの地域が優れているとか劣っているということではない。どこの地域にもその気候や風土だからこそ、生まれた文化がある。
そう考えるとやっぱり人間てすごいなと思わずにはいられない。

私はやはり言葉に依存しがちなので、日本で取材をしたい性分なのだが、ヨーロッパにはヨーロッパの、アフリカにはアフリカの豊かな文化がある。グローバル経済の罪は、そういったものを均質に塗り替えてしまう点だ。

話がそれるが、私はなんだかんだ言って、書くこと以上に調べること=知ることが好きなのだ、とこの歳になって実感する。新聞記者だった時代にはあまり意識したことがなかったのだけれど。
とはいえ、調べるより聞くことの方が好きではあるのだけれど。考えてみると、ライターに必要な素養のうちの一つは、調べることだと思う。
というか、おおむねライターという人種は調べることが好きだと思う。

一方で、気になることをどこまで調べるのか問題というのが常に頭の片隅にある。例えば、「北前船」について調べるために、1,000字の文章を読むのか、10万字の文章(もはや上下巻レベル)みたいな話だ。
chatGPTに調べさせて書かせればいいじゃん、という意見はごもっともで、実行もしているのだけれど、けっきょくは原典に当たることになる。もしも、chatGPTに書かせてその出典を確認しないライターがいたとしたら、私はその人には発注はしない。

イベントが盛りだくさんの週末。映画に、本屋に

閑話休題。
週末は閑散期の三陸にしては様々なイベントがあり、日曜日は、映画の上映会の後、お世話になっている書店さんと地元釜石市高校の生徒が連携したイベントに参加。

※新聞にも2人の顔写真載っていたので、加工せず公開

『食べることは生きること ~アリス・ウォータースのおいしい革命~』

『食べることは生きること ~アリス・ウォータースのおいしい革命~』という映画の上映会へ。

私は色々な生産者さんの言葉を聴いてきた中での自分のスタンスとして、オーガニックが唯一の正解だとは考えていない。今の規模の人口の食を支えるには、慣行栽培や減農薬の栽培が必要だと思うし、一方でオーガニックを選びたい人が購入できるくらいの規模までオーガニックが広がればいいなと思っている。

大体のことについて、私は、オルタナティブが必要だと考えている(ような気がする)。選択肢があるということが大事だというスタンスに立っていて、どれかが唯一絶対だと確信を持てるほど、何かに信頼を置くということはあまりない。
そういうスタンスの私から見ても、共感できることがたくさんある映画だった。

(このタイトルとナレーションには若干の違和感がなかったわけでもないけど、映画の価値を減らすことのマイナス要素でもない)

なかでも主人公のアリス・ウォータースはじめシェフらが生産者と直接つなることの価値を強く訴えているのが印象的で、とても大事な点だと感じる。

私は普段から、これから先、農業や漁業=一次産業はいったい、どうあればいいのか、どうあることができるのだろうかと日常的に考えている。それは「意識高い系」と言われればその通りではあるが、日常的に生産者と会っているし、知り合いにも多いから、環境的に自然なことだ。

(それはさておき、)生産者と料理人や消費者が直接つながれば、あらゆる問題が解決できるとは思わないが、消費者が生産者を知り、生産の現場を知ることによって、少なくとも「キャベツが高い!!!」と簡単に文句は言えなくなるのではないだろうか。

何より、東京のテレビや新聞の人間が生産の現場をもっとよく知り、日々の天気予報や野菜の値上がりといったニュースも報じる時に消費者の声だけではなく、もっと生産者の声を伝えることが最優先課題だ。
そういう意味では、新聞社は新人記者のファーストキャリアを地方支局にしていることは重要だと思う。腐っても?社会の公器である以上、本人が望むと望まないとにかかわらず、地方の実情を知ってから本社に上がることは不可欠だと思うが、そんな私が新聞社の管理職になっていたら、今ごろはハラスメントで辞表を書かされていたかもしれない。

(話がずれたが、)自分にできるところとしては、やはり自分がライターとして関わっている『東北食べる通信』で生産の現場を伝えることもそうだし、ポケットマルシェなど産直ECを通じて消費者が生産者の声を聞ける活動を広めることもそうだと思う。

色んな観点で学ぶところの多い作品だったが、教育や地域コミュニティという点でも考えさせられた。地域の畑を中心にてた地域のコミュニティの再構築とか色々考えられるだろう。

釜高生、本屋で語る

”地域”に絡めてちょっと強引に話をつなげると、同じ日の午後参加した釜石高校生が企画した書店イベントは高校生がもっと町の本屋さんと地域を繋げることがにより、「本屋の不況」を打開できるのではないかと考えた企画。
まずは自分たち高校生が校内で人気の本や漫画のアンケートを取り、それを元におすすめの本を参加者にプレゼントするというものだった。

この企画を通して、どのように書店利用者を増やすのかというのは今後の課題かと思いが2人の男子。高校生のうちの1人は本が好きで、リアルな本屋さんに行って、本を選ぶから本屋がなくなっては困ると話していて、今の高校生も本屋さんを必要としているのだというリアルな声を聞けてうれしかった。私自身、鍵っ子だったこともあり、子どものころは本屋さんや図書館にはよく入り浸っていたから。

思いがけず大人の参加者(と取材)が多くて、とても緊張したみたいだったけれど、彼らがより深く地域とかかわるきっかけになっていればいいなと思う。

進学のために釜石を出て、どこか都会で働いて、いつか「地元」を思い出す時、この日の経験が前向きなものとしてその背中を押す思い出になっていたら、と思う。

いいなと思ったら応援しよう!