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【修論】 2.3. 学校教育における役割の変化

これまで述べてきたように、技術革新によって労働市場の構造が大きく変化し、それに伴って学校卒業後に必要となるスキル・能力も変化した。そもそも、学校教育の目的とは、生徒が学校卒業後にも社会の一構成員として自身の価値を認め、社会に貢献し続けることを可能にすることであるはずである。したがって、学校教育とは社会の変化に則したものである必要がある。そこでここでは、社会の変化に伴う、学校教育に期待される役割の変化について述べる。
 

2.3.1.   「学校」に求められること

1920 年代に教育の大衆化が世界的に始まった頃、教育の目的は「工業経済を支える有能な労働者の育成」を担うことであった。そのためには、より効率的に知識を学習者に教え込み、訓練し、自立を促す必要があった。研究者の中には、学校教育を工場での大量生産に例えて表現した者もいる。技術者である教師は原材料である子どもたちを「製品」にすべく、てきぱきと効率よく処理することを求められた。この技術者である教師の仕事は、工場長、すなわち学校教育の管理職や研究者の指示を忠実に実行することであった(Bennett and Lecompte, 1990 ; Callahan 1962 ; Kliebard, 1975)。

また、工場(学校)が互いに競い合うようになり、工場の製品(生徒)の質を測定するために「標準学力検査」が行われるようになった。教師はこのため事務的な仕事が増え、授業が疎かになることも多くなった。さらに、教育実践や教育哲学をほとんど持たない中央・地方の関係当局が学校経営に乗り出してきた(Callahan, 1962)。

こうして工場モデルの学校教育が広がり、あらゆる側面から現在に至るまで根深く影響を及ぼし続けている。現在の学校教育の制度が広く普及し始めた 1920 年代においてもなお、「人はいかに学ぶのか」についての研究は継続的には行われてこなかった。その結果、今日の学校教育は、科学的に証明されたものではない以下のような仮定に基づいてデザインされ、この伝統的な学校教育の見方は「教授主義(instructionism)」として知られている(Sawyer, 2009)。
 

1)知識とは、問題解決に必要な世界についての事実と手続きの集合体である。
2)学校教育の目標とは、その事実と手続きを学習者の頭の中に注入することであり、こう した事実と手続きをたくさん知っていれば「教育された」とみなされる。
3) 教師はこうした事実と手続きを熟知しており、教師の仕事とはそれらを生徒に伝達することである。
4) 生徒は比較的単純な事実と手続きから始め、次第に複雑な事実と手続きを学んでいくことが適切である。
5)学校教育による効果を確かめる方法は、個々の生徒が事実と手続きをどれだけ獲得でき たかを見るために生徒に対してテストすることである。


さらに村井によると、日本において子どもを「教える対象として見る」ようになった契機は、1872 年に制定された「学制」だという。学制制定の背景には、子どもを「未熟で人間以前の存在」としてみなし、「教えて、変えて、一人前の人間にする」ことが教育の役割である、という考え方があった(村井, 2013)。

このように、心理学や認知科学の研究が乳児の有能さを証明するまでは、学校教育システムやカリキュラム、授業方法は「学習者は無能で受動的な存在である」という考え方に立脚したものであった。後述するように、その後の研究により「学習者は有能で能動的な存在である」ことが証明されたわけであるが、いまだに当時デザインされた学校教育が残っていると言わざるを得ない状況である。

しかし、現代において、今まで人類が経験してこなかったような未知なる社会を生き抜いていかなければならない者の成長を支援する教育機関が、学習者に対して、他者に定められたゴールに向けて定められたルートを辿らせ、みな同じ方法で評価し、1つの指標で能力を判断する方法を継続させているというのは、もはや教育そのものの目的を見失っているようにすら感じられる。

さらに、我々が生きる現代社会には、過去に類を見ないほどの速さで知識と情報が増え続けている。もはや学校教育の中だけで子どもたちに必要な知識や情報を伝達することは不可能であるし、そこに教育目標を置く必要はなくなったのである。ブランスフォードら(2002)は、科学・技術・社会現象・数学・芸術についての創造的思考に必要な知識を生徒たちが獲得するために必要となる、認知技能や学習方略の習得を支援することを 21 世紀の教育目標とすべきである、と述べている(Bransford, Brown and Cocking, 2000)。
前項で述べたように、学習指導要領が目指す生徒の学びとは、学習の内容と方法の両方を重視し、学習者の学びの過程を質的に高めていくことである。つまり、「何を学ぶか」だけでなく「どのように学ぶか」と「どう評価するか」が重要になると言える。そのためには、従来の授業を「主体的・対話的で深い学び」の視点で捉え直すことが求められる。

また、学校の役割とは、教科における知識や深い概念理解などのハードスキルだけでなく、既に述べてきた「資質・能力」「キー・コンピテンシー」「21 世紀型スキル」などのソフトスキルの育成も併せて支援することである。そのためには学習の場を教室の中だけに限らず、多角的に学びを捉えていく必要があると言えるだろう。

ジョン・デューイはかつて、次のように記している。

子どもの側に立てば、子どもが学校で時間を浪費してしまうのは、学校での学習に学校外 での経験を活かせないからである。逆に、学校で学んだことを毎日の生活で応用することも できない。これこそが学校の隔絶、すなわち日常生活からの隔絶である。
Dewey, 1916


これまでの学校教育は、ときに「閉ざされた学校」と表現されるほど、学習活動のなかで学校外のコミュニティと関わる機会は極めて少なかったと言える。しかし、学校外とのつながりは、生徒にとっても教員にとっても非常に良い刺激となり、その学習効果は単なる標準学力検査の得点をはるかに超えるものである(Brown and Campione, 1994, 1996 ; Cognition and Technology Group at Vanderbilt, in 1998b)。

ジョン・デューイが 100 年ほど前にすでにこのように記していたということは、長年学校教育は、この重要な点を見落としてきた、あるいは無視してきたと言わざるを得ない。学校教育を学習科学の視点で捉え直すとき、「学び」が教室の中だけでなく、学校の垣根を超えて、家庭・地域社会・学校外の他者との関わりの中でも生まれるよう、「開かれた学校」へと変化すべく、カリキュラム・デザインが行われるべきである。

2.3.2.   「教師」の役割


実証主義、教授主義とも呼べる考え方に立脚した場合、教師は「知識の専門家」であり「知識の伝達者」という位置づけとなる。つまり、空っぽの心を持って教室にやってくる生徒たちを、教員は知識を伝達することで満たすという役割を担っているといえる。

しかし、学習科学の研究は、子どもたちは既に持っている知識や情報を持ち寄って新しい学びに向かうのであるし、自分自身の知識構築に主体的に取り組むことで深い理解を伴う学習を行い、広く一般的に使える知識を獲得し、学習への動機づけも高まることを明らかにしてきた(Sawyer, 2009)。「生徒たちの心はからっぽではない」こと、そして「伝達するだけでは知識の深い理解には及ばない」ことが証明されたのである。したがって、教師の役割もこの視点に立って見直す必要があるだろう。

学習科学の視点から教員の役割を定義するとすれば、「知識の伝達者」ではなく、「学びの支援者」となるべきである。学びの共同体の一員である教員は、他の学習者よりもその分野におけるより多くの知識とより深い理解を既に持っていて、その分多角的に物事を捉えられる。だからこそ、学習者たちが自ら主体的に課題に取り組む際に、良い「足場がけ(scaffolding)」を提供することが重要な役割だと言える。この足場かけとは、学習者が直面している目標を達成するために必要な「支援」のことを指している(Reiser, 2004)。

ヴィゴツキー(Vygotsky)は、学習者ひとりでは解決できない課題でも、他者との共同活動であれば解決できることがあることに注目し、ひとりで学習するよりも、他者との共同活動を通しての方が、より新しい学びが促進されやすいことを証明した。子どもがその時点では自発的にはできないが、大人や能力のある同年齢の他者の援助があればできる課題水準(最近接発達領域)では、学習や認知発達が引き起こされる可能性が高いとされており、特にこの領域での学び活動において、教師の足場がけの提供による支援は子どもの学びに大きな役割を果たす(Berk and Winsler, 2001)。

従来の授業でよく見られる「知識や答えを教える」ことや、「やってみせる」という行為は、直近の目標を達成するためには役立つかも知れないが、それでは子どもが主体的に知識創造活動に取り組んだことにならないので、これは良い「足場かけ」とは言わない。良い足場かけとは、学習者が自身の力で理解するための手助けとなるようなヒントやきっかけを提供することを言う。ゆえに、状況に応じてこの足場かけは変化し、学習者の必要に応じてゆるやかに追加され、修正され、最終的には完全に取り外されるものである(Sawyer, 2009)。

教師はこの足場かけとなるような授業内容や教材を提供すること、また授業中に学習者の学びの過程を観察し、状況に合わせて常に効果的な足場かけを提供できる存在であることが最も重要な役割となる。

また、教師の役割を考える際に、重要な示唆を与えてくれる研究がある。ジャージリとジブラ(Geregely and Csibra, 2005)は、文化学習は、人間特有の「ペタゴジー(Petagogy)」特性によるものだとしている。幼児を対象にした研究から、教える側が幼児に対してわかりやすく何かをやってみせると、「ペタゴジー適応性」がはたらき、「顕示された通り」の振る舞いをそっくりそのまま真似る傾向にあることがわかっている(教示伝達的顕示)。
ここで注目すべきことは、幼児は「何のためか」「どういう仕掛けか」を理解できていなくても真似てしまう、という事実である。つまり、人は「教え」の前では思考停止するというのである(苅宿, 佐伯, 高木, 2012)。その後の研究で、対象年齢を上げ 5 歳児とした場合でも、結果は変わらないばかりか、むしろその傾向が強まったと報告されている(McGuigan, et al., 2007)。

そして、もう1つ教師が担うべき重要なタスクは、「生徒の学びを見とる」ことである。この点の詳細は、2.5.3. 評価のあり方 で詳しく述べることとするが、この評価とは「テスト」だけによるものではなく、一人ひとりの生徒が授業の中で「主体的に学びを深めたかどうか」を確かめるものであるべきである(白水, 2020)。そして、教師から生徒に対して的確なフィードバックや形成的評価を与えることにより、生徒が次の学びに積極的に取り組めるように動機づけをすることも重要である。

教師が生徒に課題を提供する際に意識すべきことは、一人ひとり異なったスキーマを持ち寄って教室に集まってくる多様な生徒集団のために、より一層やりがいのある課題を用意することである。そのやりがいのある課題とは、易しすぎることもなく、難しすぎることもない問題に対して、生徒自身が問題解決への道筋を組み立て、情報を発見・統合・総合し、新しい解を作り出し、自ら学び、協調的に作業できる課題である。そのためには、教師は今以上に多くの知識や多様なスキルを持たなければならない。現在持っている知識やスキル、大学の教育学部で研究されている知識やスキルとは根本的に異なる、新しい知識やスキルが必要になるのである(Bransford, Brown and Cocking, 2000)。

これらのスキルの獲得は、非常に多くの時間と経験を有するものであるため、現場での実践を通して徐々に獲得していくだろうスキルと言える。つまり、教員こそ「学び続ける」ことが必要なのである。
 

2.3.3.   「教師の学び」の重要性


ところで、一般的に教師は教員養成課程を経て、教師として働くために必要な知識やスキルを習得してから教壇に立つとされているが、実際にそうなっているのであろうか。「教育とアメリカの未来に関する国家評議会は、現在の教員養成プログラムが抱える問題点を次のように整理している。
 

1.不十分な時間:学部の4年間だけでは、将来の小学校教師が教科内容について学ぶのは難しく、将来の中学校教師が学習者と学習の性質について学習することも難しい。

2.断片化:プログラムの伝統的な科目(基礎原理、発達心理学関連の科目、教育方法論、 教育実習など)がばらばらに提供されるので、学生たちはそれらを一貫性のある全体としてまとめるのが困難である。

3.学習意欲を低下させる指導法:教師は生徒たちに学習する気を起こさせるべきだとさ れているにも関わらず、教育養成プログラムのほとんどは、教師による説明と一問一 答式の質疑を交えた講義形式で行われる。このため受講生は、学習意欲を掻き立てら れるような体験をすることがなく、将来教師になったときに、そうした心が沸き立つ ような体験を生徒に伝えたくても伝えることができない。

4.表面的カリキュラム:資格要件や学位の要件を満たせば良いとする考えのため、教科 内容についても、あるいは学習と指導法に関する内容についても、深みのない薄っぺ らなプログラムしか提供されていない。特に、教科内容に関するコースが不十分であ る。
National Commission on Teaching and America’s future, 1996


 
また、たとえ大学で素晴らしい教員養成プログラムに恵まれたとしても、実際に教師になり、大学で学んだことを実際の現場で実践するには多くの時間とさらなる学びを要する。したがって、教員になってもなお実践を通して、メタ認知を働かせながら学び続けなければならない。

しかし、そのような科学的知見に基づいた学習観を持った学校現場は未だ少ないのが現状であり、「なるべく多くのカリキュラムをカバーすること」や「学習者が知識やスキルを身につけているかどうかをテストして確認すること」に重きが置かれ、学校運営者・管理者も学習者の保護者も、教授法を好む傾向にある。そんな中で、教師が上記のことをやり抜くことは、極めて困難であると言える。つまり、新任の教師は、大学で学んだことと実際の教育現場でなされていること、求められることの違いに愕然とするのが現実である(Bransford, Brown and Cocking, 2000)。

このような状態で教師は教壇に立つことを余儀なくされ、授業以外にも多くの事務作業や部活の顧問などの仕事を抱えている。しかし、忘れてはならないのは、教師の仕事は「学習者の主体的・対話的で深い学びを引き出す授業をデザインすること」である。学校教育における役割、「学び」を問い直す今、学習者だけでなく、教師やそれ以外の周りの大人も学び続けられる仕組みが、これまで以上に必要とされている。

2017 年に国立教育政策研究所によって提出されている教員養成プログラムについての報告書では、子どもたちの「主体的・対話的で深い学び」を可能にする授業をデザインするためのスキルを習得できるように、まずは教師自身が「主体的・対話的で深い学び」に従事できる教員養成・研修プログラムであること、また、そのプログラムが埋め込まれる教職大学院・学校現場・自治体の連携や研修体系などのシステム面のサポートが必要であること、そしてこうしたシステムをデザインするために教育行政関係者、管理職等も「主体的・対話的で深い学び」に従事することが必要であることが示唆された、と述べられている。
 

2.1.4.   「大人の学び」と義務教育の関係性


ここでもう少し「学び」のスパンを広く捉えて、義務教育で触れた学習観が、その個人にどのような影響を与えているのかについて検証してみたい。
図 2-4 は、リクルートワークス研究所(2018)が 15 歳以上の 5 万人を対象に、2016 年から毎年実施している「全国就業実態パネル調査」で明らかになった統計である。この調査は、「自分の意志で学んでいる人」はどうしてそれができているのか、その学びは後に報われるのか、個人はどんな態度で学ぶべきなのかを検討する目的で行われている。

上司や先輩などから指導を受けて、通常の業務を通じて新しい知識や技術を習得する 機会 OJT(On the Job Training)と、通常の業務を離れて教育・研修を受ける Off-JT(Off the Job Training)、そして本を読んだり、資格習得に向けて勉強に励んだり、新たに自費で学校へ通ったりなどを自己学習として分類している。
 

図 2-4  3つの学びの関係性:雇用者(計)(Works report, 2018 より引用)

 
いずれも重なり合っている部分は、複数の学びを行ったと回答したことを表している。いずれか 1 つの学びを実行している人よりも、複数の学びを実行している人の割合の方が多いことがわかる。この結果から、自主的に学びを継続する社会人の多くは、様々な学びの機会を生かしているといえる。
そしてさらに注目すべきは、「自主的に全く学んでいない社会人」が 51.1%もいるということである。これらの人々にはどのような理由があるのだろうか。図 2-5 は、自主的には学んでいないと答えた人の理由を整理したものである。
 

図 2-5 仕事に関連した学び行動を取らなかった理由(計)(Works report, 2018 より引用)


 ここからわかることは、学び行動をとっていない人の多くは「特に理由がない」、つまり、「学ばない理由など考えたことがない」ということである。学ぶ人に理由はあって も、学ばない人に理由はないのである(Works report, 2018)。

図 2-6 は、「学生時代の学び習慣」について調査したものである。「授業やテストの対策のみならず、普段から関心を持った事柄について自らも調べものをするなど、習慣的に学習していた」と答えた社会人は、12.6%であった。「授業やテストのために、直前だけで なく常日頃から学習をしていた」と答えた人は 18.3%、「授業やテストのために、直前に知識を詰め込むなど、単発的に学習していた」人は 40.8%、そして「ほとんど勉強はしていなかった」と答えた人は 28.4%となった。勉強を意図的にやっていたとしても、その目的とは、大半の人にとっては「テスト」や「授業」など、大人が定めたゴールなのであり、「2.4.5. 前向きアプローチと後向きアプローチ」で述べる後向きアプローチ型の授業が生んだ弊害と言える可能性がある。
 

図 2-6 学生時代の学び習慣(%)(Works report, 2018 より引用)


そして、「現在、仕事上わからないことがあるとすぐに学び行動をとる」と答えた人 に、「学生時代の学び行動」について調査したところ、図 2-7 の結果となった。83.3%の社会人が、学生時代からテストや授業だけでなく、主体的に学ぶ習慣があったというのである。
 

図 2-7 学生時代の学び習慣と現在の学び習慣(%)(Works report, 2018 より引用)

 
佐伯は、以下のように述べている。

日本人は勤勉で勉強家だという。…時間があったら何か“勉強”したいと考える主婦やサラ リーマンは結構多い。しかし、その場合の“勉強”とは、「誰かに教えてもらうこと」であっ て、自分たちで考えたり探求したりすることではないことが多い。日本人は一生涯を「研修期間」で過ごす。磨き上げ、修練し続け、死ぬまで「修行中」なのである。つまり、文 化の創造への参加は、いつまでも後回しにし続けて生きているのである。「できる」を「わ かる」から分離して修行し、教えてもらって生き続ける。
佐伯, 2004, p.19

ここから示唆されていることは、学生時代に「学び」をどう捉えるかによって、働き方、その後の生き方まで変わってくる、ということである。なぜなら、「学び」とは一生涯続くものだからである。

したがって、学校教育は、「主体的・対話的で深い学び」とはなんなのか、どういうものなのかを生徒たちが「体験」として学べる学習環境を提供するべきである。ここで「学びに向かう力」を獲得したり、「学び方を学ぶ」ことができれば、学習指導要領が示す「生きる力」そのものになるからである。やはり学校教育は、「一生涯学び続ける自立した学習者」を育成することを目指さなければならない。


引用文献:

Bennett, K.P., and M.D. LeCompte (1990) “The Way Schools Work: A Sociological Analysis of Education”. New York: Longman.

Bransford, J, D., Brown A., L., , and Cocking, R. (2000) “How people Learn -Brain, Mind, Experience, and School “ National Academy Press. 

Brown, A.L., and J.C. Campione (1994) “Guided discovery in a community of learners.” Pp.229-270 in Classroom Lessons: Integrating Cognitive Theory and Classroom Practice,K McGilly, ed. Cambridge, MA: MIT Press.

Brown, A.L., and J.C. Campione (1996) “Psychological theory and the design of innovative learning environments: On procedures, principles, and systems.” Pp. 289-325 in Innovative in Learning: New Environments of Education, L. Schauble and R. Glaser, eds. Mahwah, NJ: Erlbaum.

Callahan, R.E. (1962) “Education and the Cult of Efficiency.” Chicago: University of Chicago Press.

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Kliebard, H.M. (1975) “Metaphorical roots of curriculum design.” in Curriculum Theorizing: The Reconceptualists, W. Oinar, ed. Berkeley: McCutchan.

McGuigan, N., Whiten, A., Flynn, E., & Horner, V. (2007). Imitation of causally opaque versus causally transparent tool use by 3-and 5-year-old children. Cognitive Development, 22(3), 353-364.

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Reiser, B. J. (2004). Scaffolding complex learning: The mechanisms of structuring and problematizing student work. The Journal of the Learning Sciences, 13, 273-204.

伯胖(2004)『「わかり方」の探究 思索と行動の原点』小学館

白水始(2020)『対話力』東洋館出版社.

村井実(2013) 『日本教育の根本的変革』、川島書店

苅宿俊文・高木光太郎・佐伯胖(2012)『ワークショップと学び1 まなびを学ぶ』東京大学出版会

Works Report(2018) リクルートワークス研究所
https://www.works-i.com/research/works-report/item/180807_jpsedmanabi.pdf(2020年 7 月 3 日参照)


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