金継ぎすると整う。
もう10年も前になるだろうか。
真冬の公園で子どもを遊ばせていると、ママ友から声をかけられた。
「あれ? それってスキーウェアじゃない?」
「そうだよ。よく気づいたね! 真冬の公園は寒いから風を通さないスキーウェアを着ているんだ」
「……へえ、そう」
そう答えたママ友はかなり引き気味だったように思う。真冬の公園でスキーウェアはやっぱり変?
別の日。折りたたみ傘を修理屋さんに出した話をすると、
「え? 新しい傘を買うお金がないの?」
そう言われて驚いた。モノを修理して使うのは、当たり前じゃないの?
これは10年も前の話で、時代背景もあったかもしれない。だけど、持っているものを適した場所で使うこと。モノを修理して使うことは、わたしの日常だった。
現在は、食器を修復して使い続けている。
ある日のこと。整理収納アドバイザーをしている友人に、金継ぎで修復した器を見せると、「藍色に金のアクセントがステキだね」と言われた。「食器を買うお金がないの?」とは、さすがに言われなかった。
その友人は、モノと向き合い続け、モノを大切に扱う方だから、理解があったのかもしれない。金継ぎのことを、肯定されたことが嬉しかった。
ヒビが入った食器、欠けた食器を金継ぎして使い続けることは、わたし自身のためにしていることだ。
壊れたもの、欠けたものを修復する作業は楽しい。誰かに頼むのではなく、自分の手で蘇らせることに幸せを感じている。
金継ぎは食器が割れたり欠けたりしたときしかできないから、数は多くはない。だけど、その修復作業を通して得たものは大きい。
真剣に静かにモノと向き合い、修復していく過程は、自分自身が修復されていくような癒しの時間だから。
器を修復する時間は、自分だけの時間を持つことにもなる。日々、忙しさに追われているなかで、安らぐ時間だ。
これはつい最近わかったことなのだけど、わたしはモノを通して、ずっと自分を大切にしたかったのだ。出来ないと言えず、つい色んなことを安請け合いしてしまい、自分の時間を削り他者のために使い続けて疲弊する日々を変えたかった。
現在は、自分が壊れないうちに、無理をしないよう調整している。以前に比べ、だいぶ生きやすくなってきた。
モノを大切に扱うことは、自分を大切にすることにも通じている。千里の道も一歩から。
あなたも身近なところから少しずつ始めてみませんか?
秋には干し芋を買って、12月までに新しい手帳を買いたいです。