隣人の気持ちを慮ること、それが欠けていたのではないだろうか。
クローゼットを片づけながら、「未来のためにできること」について考えていた。
わたしが未来のためにできることってなんだろう。自分にできることが、結果的に世の中のためにもなっているのが理想的だ。
自分が苦にならないことで、好きなことで何だろう? と思ったら、モノを買いすぎない。欠けた食器は修復して使う。とても、小さなことだった。
それって、世界に繋がっているのかな?
何か善業のようなものをしているかしら。振り返ってみると、今のわたしは、世の中のためになるような活動はしていない。例えば、仕事をしていたときは、仕事をして税金を納めることで世のため、人のためになっていた。ボランティア活動していたときは、活動そのものが世の中のためになっていた。
で、今は無職。ボランティア活動も全て辞めた。非常に狭い人間関係の中で生きている。学校へ行けなくなった娘の将来を考え、どうしたら娘が生きやすい世の中になるだろうか。そんなことを毎日考えている。
誰一人取り残さないって、なんなのだろう?
(SDGsの資料を読んでたら書いてた)
昨日、スーパーに行った。お会計を済ませ、袋に品物を詰め終えたタイミングで、お年寄りの方2名が、カゴを元に戻さなかった。わたしは、頼まれてもいないのに、カゴを2つ掴んで自分のといっしょにカゴを定位置へ戻した。
そうしたら、そのうちの一人から声をかけられて。「ごめんなさいね」って。カゴを戻すと、しゃがまないといけないでしょう? それが年寄りにはしんどいんだって言ってた。
カゴを戻す定位置に目を向けると、納められているカゴが少ない。しゃがまないと置けない。ご年配の方には、キツい体勢だろう。
わたしの思考を振り返る。カゴを元に戻さないイコール非常識な人、だらしのない人と勝手に決めつけていなかっただろうか。
だって、カゴを戻すとき、「自分が使ったカゴくらい、元に戻せばいいのに」って批判的な気持ちが心のどこかにあった。そのとき、相手がどんな状態なのかって考えもしなかった。
むかし、お年寄りが集うカフェでお手伝いしていたとき、わたしにとっては直ぐそこにあるヤマダ電機やUNIQLOへ行くのがつらいと言われたことがある。
家族と暮らしている人は頼めるだろう。だけど、そうじゃない人もいる。いろいろな人がいること。少しだけでもいいから、思いを馳せること。
その、一人ひとりの思いが大事だと思う。