子育てで、なぜか譲れなかったもの。
『坂の途中の家』のドラマをようやく見終えた。
途中、何度もむかしの自分を重ねてつらかった。
特に母乳の場面がつらかったかな。
むかし、むかーしの話、14年も前の話だけど、わたしは母乳信仰だった。
選んだ産院が「赤ちゃんに優しい病院(BFH)」だったので、もちろん完母(完全母乳)で育てた。幸い母乳の出は良く、問題なかったのだけど、赤ちゃんには、3時間置きに母乳を飲ませる必要があるので、母体への負担が大きかった。
今では、それで良かったと、完母で良かったと思うけど、なんか、とても頑張りすぎていたような気がする。子どもを産んだあと、動物の本能的なものがあり、子どもを自分から離さず、唯一、夫には預けてもいいと思っていたけど、それ以外の人に頼ることはできずに、なんか、苦しそうに生きていたと思う。(昔を振り返れば)
その上、子どもが小さく生まれたため、定期的に、病院へ通う必要があった。そこでの体重測定が一種のプレッシャーで、どれだけ体重が増えているかをいつも気にしていた。生後、半年を過ぎてからは、フォローアップミルクを離乳食に混ぜて、とにかく栄養を摂らせようと躍起になっていた。
いつも、体重を増やすことばかりを考えていた。完母の場合、母乳以外を子供が受け付けなくなる。なので、子供は哺乳瓶からミルクを飲めない。フォローアップミルクを作ってから、離乳食に混ぜていた。
今思えば、息苦しそうに生きていたなと。実家も遠方で子供を両親に預ける習慣はなく、誰かに頼るわけでもなく、ほぼ夫婦だけで育てた。気が狂わなかった自分を褒めたい。転勤先の知らない土地での子育ては大変だった。できれば、実家や他者に頼りながら育てた方が、ラクだと思う。それでも唯一、良かったことが二つある。
それは、自分のこだわりを実現できたこと。
一つ目は、子どもの後頭部をまるい形にするこだわり。夜中に抱き上げて、赤ちゃんの頃から体制を変えていた。なぜ、そんなことをしていたのかというと、絶壁にしたくなかったから。ポニテールを結ったときに、後頭部が丸くないと、ポニテールが映えない。そこは、譲れなかった。
二つ目は、子どもの口の中へ虫歯菌を入れないこと。ずっと子どもにキスをするのを我慢していた。夫にも、絶対に口にキスをしないように言い伝えていたので、子供は14歳の現在も虫歯ゼロ。真っ白い歯だ。
その二つは良かったと思う。多分、他の人から、そんなところこだわる? と思うようなポイントかもしれない。だけど、頭の形を良くすることと、虫歯を作らない子育ては譲れなかった。
振り返ってみると、反省点は、子育てをもっと他者へ頼れば良かったこと。ただ、頼らなかったので、自分だけのこだわりを達成できた。いい面も悪い面もある。