1人の人として愛をもって〜福祉漬けの10年を振り返る〜
あと10日出勤したら退職する。
社会福祉士として、高齢福祉の最前線である地域包括支援センターで勤務できたことを本当に誇りに思ってる。
大学で学んで、就職したばかりの頃と、今とで「福祉」の捉え方が大きく変化したなと思うので記録として残していく。
私は、人に幸せでいてほしいし、心豊かでいてほしい。
その気持ちはずっと変わっていない。世界中の人たちがそれぞれの幸せを抱きしめて豊かにのびのびと暮らしていたらいいなと思う。みんなが幸せであってほしい。
福祉に対する情熱はずっとある。でももしかしたら私の大切にしたい「福祉」の意味合いが大きく変化してきたのかもしれない。それも退職理由の一つだ。
就職して、本当に、信じられないくらい、誤解を恐れず言うならば「こんな状態で生きてる人がいるんだ」という衝撃と無力さを感じる日々だった。
相手はみんな高齢者なので、当たり前に私より何倍も長い人生を送っている。その人生の密度が濃く、もはやドロドロ、煮詰まっているレベル。
こんな片田舎に、こんな壮絶な人生を送っている人がこんなにもいるのか。
それと同時に、どうしてこんな状態になるまで誰も手を差し伸べてくれなかったのかと憤りを感じても誰のことも責められない。万が一責められたとしても、過去は変えられなくて悲惨なこの事実だけが残る不甲斐なさ。
彼らの4分の1程度の時間しか生きてきていない未熟な私が彼らにできることってなんだろうと自問自答し続ける。「とにかく話を聞いて、医療や介護につなげる」ことだけを考えていた。人の感情や言動に敏感で、彼らの悲痛な叫びを聞くたびに頭が痛くなるくらい目の奥が熱くなり、時に一緒に泣いた。
同じ社会福祉士の先輩(10年間彼の下で学び、今は私の上司)には、プロとしての姿勢を叩き込まれた。
「1人にあまり時間をかけるな」、「巻き込まれるな」、「肩入れしすぎるな」
よく言われた言葉だ。
私は福祉のプロ、そして行政マン。何十人もの困難ケースを抱え、他の人も待っている。できることには限りがある。個人の見解でものを言ってはいけない。ですよね。わかる。わかってます。わかってますって。
わかってるんだけどさぁ!!!
と心の奥底からよじ登ってもう1人の私が顔を出してきたのは勤めて4年目頃だろうか。
どんどんさばかなきゃいけない。年々ケースの困難さは複雑さを極め、ありったけの知識と技術と知恵で解決していく。デスクの書類は山積み。付箋やメモで埋め尽くされる。
時間がない、体力も精神力もない。もう私のHPはゼロだ。でもまた電話が鳴る。あぁ、またあのおばあちゃんだ。
時間がない、ゆっくり聞いてあげたい、でももう余力がない。聞きたいよ、訪問したいよ、でもさ、でもさ、もう私。
「あんたバカよ!私のことなんか聞いちゃくれない!何もしてくれない!死ねって言ってるのよね!バカ!バカ!!!」
左耳から脳天まで貫いた金切り声。
あ、もうだめだ。
と思うより先にデスクでぐずぐずに泣いていた。
それでももう止められない彼女に延々に責め立てられた。
「聞いてるの?!聞いてないでしょう!あんたは何もしてくれない!」
そんなようなことをずっと言っていた。返事もできないくらい嗚咽している私を見かねて当時の上司が電話を代わってくれた。
初めて職場で泣いた日だった。その日はもうそれから記憶がない。
その時は、あまりに自分に余裕がなさすぎて、今思えば鬱状態だったと思う。よくそうやっていろんな職員に罵声を浴びせる彼女だったので、「クレーマー」として有名だった。
でも、私は「クレーマー」で片付けられなかった。心臓を深く抉られた。
彼女はとても繊細で、人の感情や言動に敏感な人だとわかっていた。
だから、心労で向き合えない状態の私にひどく傷ついたのだとしばらくしてから気づく。
自分自身を振り返った時、あることに気づく。
こんなに神経すり減らして毎日毎日話を聞いているのに、「何もしてくれない」と言われたことが私、ショックだったんだ。
つまりそれって私、「してあげてる」って思ってるんだ。
「話を聞いてあげてる」、「付き合ってあげている」と言う気持ち。
その頭には必ず「かわいそうだから」という言葉が隠れている。
福祉=かわいそうな人を助けること
そうか、私、「かわいそうだから手を差し伸べてるんだ」と思うと、なんだか虚しくなった。
高校の時の友人に「かわいそうって思うってことはその人のことを下に見ているってことだよ」と何気ない会話の中で笑いながら話したことを思い出す。
見事に、10年越しくらいにのブーメランを喰らう。
そりゃみんな幸せでいてほしいけど、
「かわいそう」っていう色眼鏡で見て手を貸していては、きっとその態度がふとした瞬間に現れて、見透かされて、彼女のように傷つく人が出てきてしまうのでは?
私、無意識に人を傷つけて言ってしまうってことじゃない?それでいいの?本末転倒では?
かわいそうだから力になりたいの?私の考える「福祉」それでいいの?
「かわいそう」って私の価値観じゃない?価値観押し付けて、親切の押し売りして気持ちよくなってるの?
自問自答が渦を巻く。
「いい子」として生きてきたので、人に真っ向から非難された経験がほとんどと言っていいほどない。
非難されれば悲しくて怖くて、もうその人の存在を自分の中から抹消して向き合ってこなかった。
でも、私は彼女と向き合うと決めた。私が傷つけた。私は、このままではいけないと思うから。
「今度あのおばあちゃんから電話があったら私に繋いでください。私、行きます。」と先輩に宣言した。
先輩は「いいけど、1時間で終わらせな」と言った。
「すみません、それは無理だと思います。」と返した。先輩は何も言わなかった。
それから、彼女から連絡があるたび(私宛でなくても)、私が対応して、自宅を訪ねて話を聞いた。
長い時では3時間、(埃まみれの家で)止まらない話を聞いた。
やはり時折罵倒される。「あんたバカよ」。でももうめげない。
なぜ彼女がそう言うのかを徹底的に観察、分析した。
するとどうだろう。
不思議なことに、いつの間にか「あんたバカよ」と言う時の表情が穏やかなのだ。
まさかこの「バカよ」は愛情表現か?と思いすかさず、
「え〜〜!バカって言わないでくださいよ〜〜!も〜〜泣いちゃう(てへぺろ)」と初めて冗談めかして返した。
「もうっ私からしたらひよっこなのよ〜!!」と彼女は笑った。93歳の少女が確かにそこにいた。
1人の人として真正面から対峙した時、人はこんなに穏やかに笑うのか。ずっと孤独だった彼女は、性悪ではなく、単に不器用すぎて、繊細すぎただけだった。
怒りは二次感情だと言うけれど、彼女はずっと自分の心を必死で守るために怒り続けてたんだと気づいてから、また、どうしてこんなに歳を重ねるまで誰も気づいてくれなかったのと空に憤る。と同時に、それでも生きているうちに私が気づくことができてよかったのだと言い聞かせる。
彼女からまた電話があった。
「動けない。立てなくなった。どうしたらいいのよ。」と泣きじゃくる。
訪問して「施設に泊まろう。このままじゃ死んじゃう。」と私が言うと彼女は嫌だ嫌だと子どものように駄々をこねた。
その後、一役所職員と住民とは思えないくらい怒鳴り合った。笑
でも彼女は、私の心からの訴えをわかってくれた。
「わかったわよ!わかったから!!ちょっと待ちなさい!」と胸に手を当てて自分を落ち着かせて。
施設へ様子を見に行ったら、「思ったよりいいじゃない。みんな親切よ。」と見違えるほど白く綺麗になった彼女の表情は信じられないくらい穏やかだった。人によってついた傷は人でしか癒せないと痛感する。
病院から、彼女が私に会いたいと言って聞かないと連絡があった。
病室を訪ねた。
「遅いじゃない。バカね。私はあなたを友だちだと思ってるのに。」と彼女は誇らしげに笑った。
25歳の時、93歳の友だちができた。
数日後に亡くなったと聞いた。
プロとして、どこまで向き合うか。
この仕事は、「仕事」と割り切れる人の方がきっとスムーズだと思う。
効率が悪い向き合い方をしてきたなぁ。
それでも私は、やっぱり、事務的な対応や画一的な支援を自分がしていくことが苦手だ。そうせざるを得ない今の現場がとても苦しかった。そんな薄っぺらいことでお金をもらいたくない。愛がないと嫌なんだ。
支援が必要な人でも、おじいちゃんでもおばあちゃんでも。
専門の資格を持っていても、お役人でも。まずみんな1人の人だから。
やっぱり、人と人として向き合いたい。そしてちゃんと全てを丸っと受け入れて真正面から愛したい。
そう思ったとき、「やっぱりここじゃないな」と思って辞めることを決めた。
私の人との向き合い方は、大きなハートを少しずつ分け与えていくことだ。
ゲームのHPみたいにハートはいくつもあるわけじゃない。
だから、ハートを分けたい人を極力少なく、自分が全力で対峙し続けられる人数だけと関わっていきたい。
薄っぺらいのも、上部も、仕事とはいえしたくない。
やるなら全力で、本気で。
私にとっての福祉は「幸せだと思える日々と出会うこと」。
それはできるだけ早く訪れてほしいもの。でも、苦しい期間が長くても、何歳になってもその幸せは訪れるものだと信じてる。
私がそのきっかけになれたら最高だし、そうでなくても、きっと信じて待っていてねと言える大きなハートを抱えて生きていきたい。
ずっとこれからも、人に出会って泣いて笑って生きていく。絶対にそうする。そう決めた。
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