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大坂サロンの中心人物、木村蒹葭堂という人

大学で昨年度は日本美術を中心に学習していたのですが、気になる人物がいました。木村蒹葭堂(きむらけんかどう)(1736〜1802年)、江戸中期に大坂で活躍した文化人。この人が、円山応挙、伊藤若冲、池大雅など、名だたる画家について調べていると、なんだか名前がちらつく。

そこにタイムリーな展覧会!

18世紀、京都では円山応挙や伊藤若冲、文人画家の池大雅や与謝蕪村など、数多くの個性豊かな画家が活躍した。一方、商人の町として栄えた大坂にも、町人として本業がありながらも文人として芸術活動に携わり、京都・大坂の身分や職業にとらわれない一大サロンともいえる幅広い交流の輪を作っていた。
その中心にいたのが、木村蒹葭堂。なにわの知の巨人!

《蒹葭堂世粛像》 画・高川文筌
本展出品作品。没後40周年の追善として、
谷文晁が描いた肖像を模写したといわれている。

蒹葭堂は、柳沢淇園、鶴亭、池大雅などに手ほどきを受け、絵を描いている。この展覧会でも、師の池大雅、蒹葭堂、蒹葭堂を慕った谷文晁の3名が同じ箕面の滝をテーマにした作品が展示されていて、蒹葭堂の朗らかな画風は町人の気風をあらわしているような気がした。

サロンの中心にいた蒹葭堂のもとには数多くの好事家が訪れ、23年におよぶ日記にはのべ9万人の来客が記されている。その「蒹葭堂日記」の実物も展示されていたが、開かれているページには細かい書き込みがぎっしり!

また、蒹葭堂はコレクターとしても知られていて、書画・書籍・骨董のみならず、鉱物標本・動植物標本など本草学・博物学にも精通していた。伊藤若冲の《動植綵絵 貝甲図》には木村蒹葭堂のコレクションに見られる珍しい貝が描かれているという。

江戸中期の、狩野派とは異なる絵画の流れの特徴のひとつに、描く対象物を実際に観察して描く「写実」があると思うのだが、中国や西洋から入ってきた博物学・本草学の影響は大きくて、木村蒹葭堂はその一助を担っていたんだなあ。

「写実」の隆盛には、もうひとつ「南蘋派」の影響がある。その大元となった沈南蘋は、1731年に中国・清から来日し、緻密な写実絵画で日本の画家たちに大いに影響を与えた。

この展覧会では、なんと!沈南蘋の​​​​​​代表作とされる《雪中遊兎図》が展示されていた!(残念ながら4/3まで…)感激〜!図版で見ていただけではわからない作品の大きさのインパクト、すみずみまで丹念に描き込まれ画面を覆う濃密さ、動き出しそうなかわいい兎…なるほど、これか〜!
また、沈南蘋に唯一指導を受けた熊斐の作品や、南蘋派の影響を色濃く見せる円山応挙の作品なども見ることができて、いや〜、1年間の学習のご褒美をいただいたような気持ちになりました。

決して近いとはいえない京都・大坂を行き来する道中を描いた作品も多数あり。あまり注目されてこなかった視点を見せてくれる、楽しい展覧会でした!



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