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晴れて気持ちのいい日だったので — 太陽の恵と野の花の美 —

今年はやっぱり気候の進みが例年より少し早い様で、今日はまだ4月だけれど「五月晴れ」という言葉が似合う様ないい天気でした。

文字通り「日の元に姿を現す」って大事だったのだ

今日は朝起きていつもの日課の体操をし、身支度をすませ、市の投票日だったので投票の為市役所へ。

世間の自粛自粛、と散歩にも出ないのは本当に勿体ない心地良い初夏の様な日差し。
昨日のnoteにも書きましたが、日光にはコロナを滅する効果もある様です^^↓

新型コロナウイルス、太陽光で急速に不活性化  米研究
https://www.afpbb.com/articles/-/3280112

消毒薬もワクチンも不要コロナを鎮めてくれるとあらば、そのお天道サマの無償の恵みをありがた〜く全身で受け、歩く。日差しも柔らかで暖かく、とっても気持ちが良い。
そういえば周りに人がいない所だったし、マスクを外して深呼吸もすれば良かった。


花屋の花だけが花なのでは無かった    —春の野の草—

ここ最近はお花屋さんも休業中で残念、と思っていたけれど帰りの道端には気付けば春の野の花がいっぱい!

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世間では雑草扱いなのをいい事に、数本摘ませて頂き(本人〔花〕にも一言了承も得て)、お家で生けてみた。

そしたら、おや?なんだかとっても可愛い!

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そうだ、お花屋さんで買うばっかりが花じゃなかった、と言う事を改めて実感。

*  *  *  *  * 

少し話がそれますが、先日読んだ本。
森下典子さん著の「日日是好日(にちにち これこうじつ)」

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本の中で、著書森下さんが十代の頃から続けているお茶の稽古。その茶室で日々出会っていた床の間の茶花達。それはパーティの盛大なアレンジメントとは違って派手さは無く、かぼそい草と野の花等をさりげなく生けられているもの。

日々お稽古を繰り返し五感が磨かれていくうちに、実はその茶花達はいつも稽古に向かう道沿いや土手、駐車場のの路肩など、すぐ身近に咲いていると気付き見える様になり、

それまで、花は花屋で売られているものと思ってきたけれど、花屋の店先で売られている花は、花の世界のごく一部でしかなかった。
私は「花」を、なんて小さい枠で見ていたのだろう。茶花のない季節などなかった。退屈な季節など、一つもなかった……。

と表現されている ———、甚く共感!

花は花屋で買うものであり、それ以外の野の花などはタダだから価値が低いかの様な(—でも野の花は美しいのに、、)

そんな世間にある常識の様な暗黙のうちの価値基準に、私はどこか違和感があった。(まぁそんな空気なんて読まずに、きれいな野の花があれば時々生けてましたが^^)

そんな感覚を自分以外の人が言葉で表してくれているのに触れ、心がほどける様な気がした一冊でした。


*  *  *  *  *

で、本日生けたお花2種は、

ピンク色のがカラスノエンドウ。
花に惹かれて摘んでみたけれど、こうして草むらから出して生けてみたら意外な魅力を発見。葉っぱもヒラヒラと印象的で、くるくるした蔓もアクセントになり可愛い事に気付きました。

黄色の花はタンポポ、、にソックリだけど別のお花・ブタナ キク科
茎がストロー状でなくしっかりしていて、タンポポより背が高く30〜60㎝位。別名はタンポポモドキ。

どちらも摘んで数分後にはちょっとしんなりしてしまってたけど、帰宅後水切りして生けたらすぐ復活。ほっ、よかった。さすが野育ち、強い。


その後、少し日が傾いてきたけどまだ外は明るい午後4時頃。
おやっ?

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早々と花を閉じて、もうおやすみモードになってる?!

こんな小さな花でも生けられた後も概日リズムを失わない。植物の強さ、不思議さにポチッと感動。

少し早いけど、おやすみなさい、また明日!と心の中で声をかけました^^

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ややもすると忘れがちな日の恵、自然の力や美しさ。
日々の中で忘れない様にしていきたい。
またお茶、習いに行こうかな、行きたい(コロナが落ち着いたらね)。

そういえば茶道や神道の礼拝等はそういった事を忘れないための具体的な行動の仕組み作りだったのかも、と思いました。


 

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