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遥か旅の記憶 1985.夏③

瞬く間に時は過ぎ、
スペインバジャドリでの短期留学もそろそろゴールに近づきつつあった。
残すはパリへの大移動だったのだが、ヨーロッパの鉄道にまんまとやられてしまった。


パエリア食べ過ぎ注意


そろそろゴールが見えてきたスペイン留学。
仲間同士の打ち上げとは別に、
ルームメイトとふたりでちょっと贅沢なごはんを食べに行こう、ということになった。

バジャドリで1番美味しいと評判のスペイン料理店を予約して、
ごはんを食べに行った。
そう言えば今回の旅でまだパエリアを食べていなかったので注文してみた。
大きなパエジェラにサフラン色の米と骨付き鶏肉、ムール貝、あさり、イカ、エビなどの魚介類がふんだんにトッピングされた豪華なパエリアが登場した。

画像:スペイン政府観光局H.P.より


魚介のダシが米によく染みた美味しいパエリアだった。
でもどう見ても女子2人が食べる量ではなかった。
しかもパエリアが出てきたのは料理の最後だったので、
それまでのごちそうで結構おなかも膨れてきていた。
それでも美味しかったのと、
私は食べ物を残すのが嫌なので、頑張って平らげてしまった。

超満足で部屋に帰ったものの、
夜寝ていると胃が痛くなってきた。
朝までなんとか我慢したが、
熱っぽさもあり近くの病院に行くことに。

病院で昨夜の暴食を説明すると、
レントゲンを撮りましょうということになった。
現像が上がってきた巨大なレントゲン写真を見ると、
バンバンに胃が膨れ上がっていた。
食べ過ぎによる胃拡張という診断だった。
念のため一晩入院し、胃薬を飲んで丸一日胃に食べ物を入れないようにすると、
すぐに症状は改善された。

まさか海外で病院のお世話になるとは、保険に入っておいて良かった。
旅先では調子に乗って食べ過ぎてはいけないと肝に銘じた。

卒業

大学では全てのプログラムが終了し、卒業式が行われた。
普段はラフな格好のイタリア人たちもスーツ姿で卒業証書を受け取り、記念撮影。

仲良くしていたイタリア人とドイツ人の友人と住所を交換し、手紙を書くことを約束してお別れをした。

豪華一等寝台列車でパリへ

この留学プログラムは、
観光は日本旅行主催、語学留学部分は大学主催のコラボ企画だった。
終盤の旅行はまたもや日本旅行の手配となる。

マドリードからパリへは優雅に一等寝台特急で移動。
一晩眠っていれば朝にはパリに着くはずだった。
マドリード駅にはスペイン在住の日本人女性コーディネーターが、
日本旅行から委託されて列車のチケットを持って待っていた。
いざ列車に乗り込もうとチケットに書かれた寝台車両を探すが車両がない。
確かにこの便だが私たちが乗るはずの寝台車両が無いのだ。
日本人コーディネーターは
「早く乗って!乗ったら何とかなる」と私達をその列車に押し込んだ。
彼女の仕事は私たちにチケットを渡し、時間通りに列車に乗せることだったので仕方ない。


家畜車両で一晩明かしてパリへ


寝台車両は無くても、8人がバラバラに座れる席くらいは空いてるだろうと探したが、
ヨーロッパの夏のバカンスシーズンは民族大移動。満席で座る席などなかった。
途中車掌にチケットを見せてなぜ車両が無いのかと尋ねると、
「ストだよ!」と悪びれず答える。

それでも私達はこの列車で一晩明かさなくてはいけない。
寝場所を探して車両をずんずん歩いて行くと貨物車両があった。
鉄の塊のコンテナのような車両で
大きな引き戸を両側とも開けっ放しで走っていた。
壁には環金具が何箇所か取り付けられており、
どうやらこれは牛や馬などの家畜を運ぶ車両のようだった。
いくら夏と言えども夜は冷えるし、転げ落ちでもしたら大変なので重たい鉄の引き戸をガラガラと閉めた。
全部閉めると真っ暗になるので少しだけ月明かりが入るくらいの隙間を残して。

まんじりともせず家畜車両で一夜を明かし、なんとかパリにたどり着いた。
待ち受けていたのはパリ在住の日本人女性コーディネーター。
「ボンジュール皆さん!
一等寝台列車は良く眠れた?
さぁ、ベルサイユ宮殿に向かいましょう!」

マドリードのコーディネーターから事情を聞いていないらしいパリの陽気なコーディネーターを無視して、
とにかくホテルに行きたいと言った。  

次の日ベルサイユ宮殿へ


また行きたい病に罹患


パリでは丸一日死んだように眠り、次の日ガイドなしで自分たちでパリ観光をした。
そして無事に帰国便に乗って私たち8人は日本へ帰国した。

1ヶ月半の短期留学中、大小含めてさまざまなことが起こった。
いきなりのロストバゲージ、日航機事故、胃拡張で入院、家畜車両でパリ移動。
全部ひっくるめて刺激的だった。
それは私がそれまで20年間生きてきた中で1番輝かしい1ヶ月半だった。

私とルームメイトは日本に帰ってからも「スペイン行きたい病」に取り憑かれた。
そしてまた2人で1年半後に卒業旅行として、スペインに行こうと約束した。
私たちの次の目標は「45日間スペインバックパック旅行」
1年半後の目標に向かって、
それぞれバイトと学業に明け暮れることになったのだった。



ドイツにはまだベルリンの壁があり、東西ドイツに分かれていた時代。
スペインはまだEUに加盟していなかった時代。
ロシアがソビエト社会主義共和国連邦の一国だった時代。

1985年夏。遥か遠い旅の記憶。

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