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こころの庭


先日はじめてお茶の世界観を体験してきた。
場所は品川。
とあるマンションの14階。
マンションの外通路から品川のホテルを取り囲むように植えられている木々が見える。
ホテルの歴史も古いのだろう、かなり大きな木々が初夏の陽気の中青々とした葉っぱを揺らしていた。

意外と自然が多いなぁと思いながら進んでいくと、
ドアが開いている部屋があった。

その前に立った瞬間からお茶の世界がひろがっている。
玄関には玉石と踏み石が配置されて畳が敷かれていた。


世界茶会主宰の岡田宗凱さんが開催されている
お茶会ワークショップは初心者でもお茶会を体験できるというもの。
毎月開催されていて、今回のテーマは
”お茶会体験ワークショップ~旅箪笥でいっぷく~”
という野点(のだて)をイメージしたお茶会。

箱の中に必要な茶道具がおさまるようになっている。
棗や茶筅を置いてある板も箱に収納できる。


野点は以前にきいたことがあった。

“野外で抹茶をたてて楽しむこと”

普段アウトドアで過ごすことが多い私でも、
なんとなく親しみやすいテーマだと思ったのも参加してみようと思ったきっかけのひとつだ。

他にも参加してみようと思ったきっかけとして、
祖母が残している着物をそろそろちゃんと着てみたいなと思いはじめたこと。

祖母が趣味で長年していた陶芸で作った抹茶茶碗がいくつかあるのを使ってみたいと思っていること。



父方、母方の祖父母ともにすでに他界している。

母方の祖父母の家は現在は手放しているが、
そのままを残しながら古民家デイケアサービスとして家を引き継ぎたいと申し出てくれた方がいて、すでにデイケアサービスをはじめられたそうだ。

父方の祖父母とは同居していたので今も実家として使っている。

母家は終戦後に満州から引き揚げてきた祖父母が建てた家で、同居をはじめて2.3年後に手狭になったため新家を建てた。

大工さんたちが日に日につくりあげて行く様子をみに行ったり、危ないよといわれながら木の柱が建てられた骨組みの中遊んだりしていた。
棟上げをして、ご近所のおじさんおばさんや友達にきてもらえたのもよい思い出だ。

(ちなみに実家は四国、香川県の三豊市だ。
棟上げではお菓子やおもちを上から放り上げて下にいる人たちが拾うというのが風習としてあり、子供の頃にはそれが楽しみだった。
だけと関東ではあまりしないない風習らしい。
現在は神奈川にすんでいるが友達にその話をしたら驚いていた)

祖父は早くに亡くなっていたのだが祖母も他界して3年ほどたつので、そろそろ実家の母家を片付けしなくては、と母や兄が動き出した。

物もたくさんあるので処分するのも大量なのだが、
その中でも大切なものや引き継いでいきたいものは私もちゃんとしたいなと思いはじめている。

自分の年齢もそうだが母や昨年亡くなった父のことを考えると、いままであまり意識していなかったがそうもいってられなくなる時がやがてくるだろう。



そんなことがきっかけで、
お茶会ワークショップに参加してみたのだが、
お茶会とはどういうものだと思いますか?という問いを私たちになげかけ、岡田さんは

“お茶会はワンダーランド”と話された。

掛け軸、お花、お菓子、お抹茶、茶碗、着物、季節を感じるこころ…もてなすお客様のためにそのどれもを丁寧にしつらえて一つの世界をつくりだしている。
それをワンダーランドと喩えている。

この部屋に用意されて整えられている品々
部屋で過ごす時間、
お茶会で一緒になった人たちとの一期一会の出会い

掛け軸からは主人の春を喜ぶ気持ちが込められており、活けられたお花にも、
用意されたお菓子にも、
ご自身の着物にも、
お茶会にかかわるもの全てに気持ちや意図がこめられている。
それらを五感で感じとり楽しんでほしいと話された。

掛け軸やお花も春の装い

まずは部屋の入り方から
お菓子の頂き方、お茶碗の持ち方、飲み方のこつまでおそわりながらお茶を頂いた。

飾られた掛け軸のまえで、拝見致しますとご挨拶をし、掛け軸と活けられたお花を楽しむ。
隣りの人にお先にとご挨拶してから動作をはじめる。
お茶を出してくれる方にご挨拶してから頂く。

きっちりとした作法は覚えるのが大変だとずっと思っていたが、その動きをする意味が理解できれば、
心遣いや思いやりを様式として表現し、
お互いがそれに答えるということが存外に心地よかった。


普段の生活では自分が相手に気遣いや思いやりを示しても、答えるかどうかは相手側の気持ち次第であり、
必ずしも自分の親切心がその人に受け取られるかどうかはわからない。

そもそも相手がそれを必要としているのか…ということもある。
そんな風にもやもやしてしまうこともままある中、
その様式美はじつに穏やかで調和がとれている気持ちになれた。


もう一度お茶をたててくださり、
さきほどよりは少しリラックスした心持ちでお菓子とお茶を頂戴することができた。


ゆっくりとお抹茶を頂いているとふと、
子供の頃に、祖母が焼いた抹茶茶碗を見せて貰って、祖母や母が抹茶をたててくれて飲んだことを思い出した。


抹茶をたてる祖母や母の動作がなんだか優雅に見えたり、大きなお茶碗を手に持って2回まわして飲むという一連の動きをしていると、子供の自分が大人になったような気がしたりして、それからも何回かお抹茶をのみたいとねだったと思う。

それはキッチンのダイニングテーブルであったり、
お座敷の間であったりした。

今思い起こせば、お座敷の床間には掛け軸がありその時々の季節の花が活けられていた。
祖父が早くに他界したので、お仏壇にもいつも花が活けられていたし、祖母がいつもお世話をして飾っていたのだろう。

また家を建てるときに母が父にこれだけはと希望をだしてつくったという小さな庭があり、そこでいつも楽しそうに過ごしていた。
わたしもよく水やりを手伝ったりした。


家を建てた時に植えたさくらんぼの木があり、
今では随分と大きくなり毎年初夏のころにはすこし酸っぱいがさくらんぼがとれる。
ほかにも母と祖母が植えた小さな花々がいたるところにあり、祖父が好きで植えた苔や紅葉の和風な一角があったりもした。

玄関には庭で摘んだ花や、祖母がつくった手芸作品が季節ごとに飾られていた。

思春期にはそんなことまったく気にとめていなかったが、一人暮らしをはじめ自分でも時々花を買って飾ったりしだすと、帰省するたびに実家の季節ごとのしつらいに気がつくようになった。

そういったことが、忙しい日々の生活の中でどれほど気持ちをほぐし心を潤わせてくれるか。
子供時代には気がつけてなかったとしても、きっとその空気感は私の中にいまでも息づいているのだろう。
そのことを改めて感謝した。

いつも通る道に植えられている花々です。
(実家にはここのところ帰省できずにいるので写真がなくて残念)



私が感じたワンダーランドは
実家の小さな庭に続いていたのかもしれない。
そこには、思い出の中の祖父母がいて小さな頃の自分やまだ若い両親や家族がいる。


エッセイか小説の中のセリフなのかいまではもう思い出せないが好きな言葉がある。

“こころに庭をつくるといい。

その庭に好きなものや思い出をおいておき、たいせつに育てておく。
そしてその庭で過ごすように心の中で庭を思い描き、
疲れた心をゆっくりとときほぐしていくといい。”


私のこころの庭は実家の小さな庭なのかもしれない。

そしてその庭にはいつしか、
砂浜につづいていて大好きな海があるといいなと思い描くようになった。
そんな自分だけのこころの庭を想像すると心が満たされていく。

現在のホームポイントの浜辺




お茶会の世界はかぎりなく奥深い。

ワンダーランドに行きたいが願ってもかならずしも帽子屋が現れてくれるともかぎらない。

満月の下チェシャ猫のごとくにっこりと笑う姿が見えたような気がした。

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