雲仙ツーリング 1
炎熱の街から標高を上げていく。
抱き締めてからの反応がどこかよそよそしい。そのことをずっと自問自答していた。故郷である長崎市を傷心を抱えたまま歩くのは、辛い。
この場所には、既に私の家族はひとりとて居ない。
早朝からバイクを繰り出して、雲仙の山中に向かった。
雲仙には5年ぶりに訪問した。
妻の実家と、短い旅をしたのが最期だったと思う。
手元のiPad miniにはその記録が残っていた。思えばこの場所にも胸を衝くような場所である。
しかしながらこの場所は様変わりをしている。
熊本大地震以降で修学旅行のルートが変更されて、一時は経営が厳しかったときく。なのに各ホテル群が大規模投資を行って、建物の殆どが見慣れない新築物件になっている。
雲仙は避暑地として、明治初期から開発がなされてきた。
長崎の欧米人たちが、避暑地を愉しむ写真が残っている。
懸営公園として明治44年に初めて認められているし、雲仙のゴルフコース開設にはトーマス・グラバーの息子が参加している。
その関係で洋食文化の先駆けでもある。
往時では入手が難しい、牛乳や蜂蜜もあり、スコーンやケーキを焼く店もあったという。
雲仙では10年程前からドミグラスソースを使った料理を展開している。
その目当てのお店が店休日だったので、真新しい宮崎旅館併設のCaféに入ったら大正解だった。この私が美味しかったので、なかなかのものです。
仁田峠を何度も走った。
これだけの標高があれば、日中でも問題がない。
6月下旬のような涼やかさだった。
ゆらりと雲がコースにかかり、その尾が峰に流れていく。
午後に走った一本では溶岩ドームから平成新山となった山塊が見えた。青年期の粗削りな山影が聳えていた。