明治の刻 1
もう20年近く前になる。
当時は事業開業前で、FC研修で名古屋に滞在していた。
その休日を利用して明治村を訪れていた。前職においてマンション開発を担当していたので、建築に関しては興味があった。
明治村、歴史や建築に興味があれば、是非訪ねて欲しい。
ここには明治の空気が流れている。
時報の一つ一つは往時のもの。
当時は開業40周年で、スタッフは往時の着物で歩いていて、井戸端会議でも「乃木3軍がついに旅順を落としたそうな」などの話題を出していた。
ついつい聞き耳を立ててしまうリアリティがあった。
白眉であるのは帝国ホテルの、フランク・ロイド・ライトの手になるファサードがそのまま移築されている。この建築は西洋のものと日本建築の融合ばかりでなく、インカ文明などの石積みのスパイスが効いている。
日本と中米は、どちらも蒙古系でありDNAの連環を感じる。まして中米では縄文系土器が出土する歴史事実もある。それをライトが理解していたのかどうか。その意匠の練り込まれた細部にまで神が宿る。
いわば八百萬の神々がそのなかに存在している。
この建築内の白眉はこの卓にある。
日露戦争講和の際、ポーツマス条約の署名に使われた卓である。
それが往時のままに、そこにある。教科書で見た記憶がある方も多いかと思う。この卓上で、小村寿太郎とウィッテが激論を繰り広げていた姿が脳裏に迫ってくる。
本物の持つ迫力とはそういうものだと思う。
なぜここにあるのかが理解に及ばない。
日本に存在するのは戦勝国の証左かも。