鎌倉徒然記 1
一度しか訪問していないけど。
鎌倉、という古都に感銘した。
円覚寺も建長寺も、鶴岡八幡宮も長谷の大仏も健在で、鎌倉幕府時代の地割も引き継いでいるように見える。
平安京を受け継いだ首都の風格がある。
幸いなことに戦国期でも、米軍の焼夷弾でも焼き払われてはいないそうだ。第二次世界大戦末期に、米軍機の住民に対しての機銃掃射の空襲はあったらしい。
鎌倉にどれだけ参っているかというと。
この町を舞台にした作品が多いのよね。
恋愛小説で今も細々と書き続けている「COLD BREW」という作品も、この町をGoogleEarth先生の力を頼みつつ、何とか続けている。
でもねえ。
そろそろ取材に行きたいな、と思うのです。
実際に現地に立って、歩いて、ご当地のものを頂いて。
そんな体験が架空の物語を、現実に肉薄させてくれる。
鶴岡八幡宮は源氏の守り神として創建されている。
源頼朝によってこの地に遷地されて、まずは平家打倒を祈願したような聖地でもある。
しかしながら3代将軍実朝がこの石段の半ばで暗殺される。
実朝は参拝後に、雪を被った階段を踏みしめていたところを甥である公暁が切りかかる。そして2尺ほど積もった雪に足を取られてところを、公暁の刃に散った。
「父の仇」と公暁が叫んだと吾妻鏡が伝えている。
公暁は源氏2代将軍の嫡子であったが、父頼家も暗殺され、3代実朝の庇護のもとに出家していた。おそらくは北条氏の謀略によって、叔父を父親の仇と見誤ったものだと思う。
この3代で源氏の将軍は絶えている。あとの将軍はお飾りで実権は北条氏に移った。
参拝していると、車屋さんが数台の人力車を引いてきた。
なかから新郎新婦が現れて、親族がその周辺から集まり神前式が執り行われていた。
こういうの、いいね。
伝統が連綿と編まれているようだよ。
歴史を刻んだ地で、ふたりが新しい人生が始めるということは。