萩を散策する
波乱の衆院選の夜でした。
深夜に結果が気になって目を覚ましてしまうのは、老いでしょうか。
今回は与党に鉄槌が下されましたね。私は日本国を愛しているので、今の与党に信は置けません。
この萩において青年期を過ごし、血風吹きすさぶ街道を歩き、若くして横死した青年の爪の垢を呑ませてあげたいです。
萩も江戸の気風を残した街でした。
この菊谷横町は城下町の地割りのままで、美しい白壁と端正ななまこ壁が延々と続きます。「日本の道100選」に選出されているそうですね。
なまこ壁というのは漆喰をかまぼこ型に盛り上げて、壁の継ぎ目に縫ったものらしく、形状が波打ち際のなまこに似てるというので、その名称になったとか。
横町を抜けて、桂小五郎の生家に行きました。
明治の元勲の家がそのままに街中に存在するという、不思議な町です。
桂小五郎、後の木戸孝允。
彼の生家は立派なもので。
貴種の片鱗が伺えます。剣の腕も確かなもので、かの坂本龍馬と試合をして勝利しています。安政四年で土佐藩主、山内豊信(後の容堂)の上覧試合の記録が近年、発見されています。
その桂くんの家には、彼の記した落書きがあります。
書かれている文字は已後而死
諸葛孔明の言ということですが、何歳のときに刻んだのか判然とはしません。ですがその落書きの書かれた鴨井の周辺の傷とかをみると、思春期だったのだろうと想像がついて楽しくなります。
またその言は吉田松陰の「士規七則」の中にも見られます。
彼が松下村塾に通い詰めていた時期なのかもしれませんね。
師の言葉に感銘を受け、それを刻んだ姿を想像してみたら。
青春の残像が眼に浮かび、その体温すら感じます。
ついつい桂くんち、と気安く呼んでしまいますね。
そして今日は、吉田松陰先生が、江戸伝馬町の処刑場で散った日でもあります。享年30歳という若さでした。