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二気筒と眠る 9
眠るのは高原が格別に思う。
初秋の風が心地よく、髪を揺らせていた。
もう私の体臭にオイル臭がするのも日常。
そろそろカットに行きたいけれど、しっかりと温泉につかってしとやかな髪質にしないと。ヘルメットのせいで枝毛だらけだし、ちょっと恥ずかしいかな。
福岡県まで北上してきた。
途中で東京から1000㎞という看板を見たので、私の住いからもそのくらいの距離があるのだろう。けれどこの生活をひと月も続けたので、テントの内側の方が実家という気がする。
鍾乳石が草原から背を出していた。
そこはカルスト地形の平尾台の露営地だった。
羊の群れが草原に隠れているように、可愛らしく見えたのはお昼間だけ。夕暮れから深夜にかかるとそれは墓石のようにも見えて、闇夜の風に草が鳴る音さえ心臓に負担をかけた。
心細くなったので、夜半にカンテラを下げて、バーナーを使い紅茶を淹れてビスケットを齧った。膝を抱えたそのままで朝日が昇るのを見て、この場所に野営した自分を褒めてあげたくなった。
尻ポッケからテレカを出す。
度数の位置をまず確認した。
申し分ない、この残りではそう長電話はできない。
もう彼の声も肌触りも、体臭も遠いものになった。
だってそのために必要だったのが1000㎞もの距離。
山中のバス停の傍にあった、公衆電話のガラスボックスのなかに入って、テレカを差し込んで指でボタンを追う。それでもまだ、指先が覚えているものね。そして4コールめに留守番電話の声が入り、ほっとしてメッセージを残そうとした。
だけど繋がって。
「・・・久しぶり、今はどこ?」
当惑と苛立ちを煮詰めた声が洩れてきた。
「九州の福岡まで戻ってきたわ」
「それでも随分な距離じゃないか・・」
「そうね、我が儘ばかりでごめんなさい」
「来月は?どんな予定?」
私の誕生日が迫っていた。そのことを言っていると思った。
「気にしないで、そんなこと」
「そんなことじゃない、大事な日だ。少なくとも僕にとっては」
「ありがとう、けれどもうその日はふたりで祝うには遠すぎるわ」
そういう、ことなのか、という返事もできないでテレカの残数が落ちた。予めPHSの電源は切ってある。これで数日は時間が置ける。
ボックスの外でCBが佇んでいた。
心配そうに俯いているようだ。それに跨って、キックペダルを出して体重をかける。二回、二回目でエンジンに火が入った。
彼の家から1000㎞、もう既に大地の果てだと思う。
これですっきりと憑き物が剝れたような気がした。
右手を絞り込み、左コーナーへ吸い込まれていく。
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