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朝霞の贈り物|甘いもの
稜線に粉雪が霞のように立ち昇っていた。
月明りの下で、温めたスープとカロリーメイトの朝食を摂りながらそれを眺めていた。
あの周辺は、雪崩で起きたデブリなのだろう。
そのうえに新雪が積もっている。雪が固まっていないので、崩落を注意しないといけないと心にメモ付けした。
ツェルトを出ると巻いた風に煽られた。
気温は零下13度、厳しい追風になった。
しかし空が澄んでいて、星が降るように輝いていた。
風量は安定して、吹き寄せられる雲が少ないようだ。
早朝とも言いがたい夜更けだが、阿弥陀岳山頂を目指すことにする。万一の場合に備えて、ツェルトはデポとして張ったままに残しておく。
ボトルに残った氷水をコッフェルで溶かして、スティックの砂糖を加えて紅茶を作り待機中の愉しみを準備しておく。
赤子を抱くように、寝袋のなかで温めていたカメラバッグから今日の機材を選んだ。エルマー35㎜をニコンに装着、ディスタゴン28㎜をシグマfpに、三脚は小型のウランジを使っている。雷鳥を追うのではなく、遠景で逆光でも味わいのある空気感を醸し出す機材だ。
狙いは富士を臨む払暁。
それを広角のオールドレンズで切り取るつもりだ。
山岳雑誌に掲載を続けていた。
出版不況の煽りを受けて部数は減少してきたが、こうしたニッチな素材を収集して、山行の旅費にはなっている。
登山動画もSNSやYoutubeに上げて、己が承認欲求を満たしている。山岳ガイドのお誘いも受けたが、あくまで趣味に留めて正解だったと思う。
目的地には誰も到着していない。
用意してきた紅茶で唇を舐める。
山稜が影絵のように黒く塗りつぶされている。その漆黒境界線が淡い紫色に染まり始めている。風音以外に耳に届くものはない。
小型の三脚を目前に、最初はスローシャッターで追っていた。
日輪が雲海から顔を出し、黄金色に輝くと息をつく暇もない。
次第に横たわる龍の背骨のように、尾根が黒々と四方に張っているのが視界に入ってくる。紫色に朱色が混ざり始めると、天空は駆け始める。巨大な虹が天空を泳ぎ渡っている光景に魂が奪われそうだ。
この撮れ高はツイている。
無我夢中で撮影を続けた。
デポしてあるツェルトにまで下山してきた。
置いていたザックに娘からのプレゼントがある。
妻とは死別して、高校生から男手で育ててきた。
幾度も衝突しては、歯を食い縛って耳を傾けた。
社会人になり娘にも良縁が訪れた頃から、私が再び冬山に挑むようになった。天空にひとりでいると、隣には妻が座っている気がするからだ。
ステンレスボトルを開き、緊急食の板チョコを一枚取り出した。ボトルの中身はホットチョコだが、すっかり冷めきっている。
それをコッフェルにあけて、バーナーで温める。
ふつふつと香りが立ち始めたので、板チョコをさらに溶かし込んだ。パウチには一口大に刻んだバゲットが入っている。それに凍って硬くなったチーズがある。
それらをチョコにディップしてから、ほふほふと口の周囲に湯気を立てながら食べる。そのパウチにはメッセージカードが入っていた。
そうだな、今日は。
聖バレンタインの日だった。
小学生以来の、娘からの贈り物を灼けるような胃袋で味わった。