未来を紡げるか
郷里では新幹線らしきものが開通していた。
らしきものというのは理由があって、フル規格の新幹線を佐賀県が反対していて認めていないためだ。このために武雄駅で乗り換えが必須な不便なものになっている。
最終的には高速バスが好調だという、まさに本末転倒ぶりだ。しかしながら帰省の大荷物を抱えてくる家族にしてみれば、それは道理だと思う。
それでこのような新幹線の終着駅だというのに。閑散とした駅前だ。
短い帰省だったので、今回もブロンプトンの輪行で帰った。
郷里を半年置きに訪れるのは、里親に出した愛犬に会うのも理由のひとつだ。
まだ仔犬の面影のあった彼はすっかりと凛々しく、逞しくなった。
私の来ることを予感してか、前日からそわそわしていたという。里親さんの言葉に私の名前が出て、それに反応していたらしい。
改めて郷里を見ると、変化の甚だしい部分と置き捨てられた部分の濃淡が甚だしい。いずれは大きな弊害を生みそうでならない。
壮年を迎えたこの子がいつの日か、次第に老いをみせはじめる。その未来は確実だが、郷里はこの段階で踏みとどまって再生して欲しいと思う。