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阿蘇を走る 初日

 さて今日からツーリング🏍️の本格的な開始。
 それでも夜半から午前中は温帯低気圧で、線状降水帯が発生してて大変でした。豪雨の音が気になって深夜2時に目が醒めてしまいました。
 二度寝して早朝からiPadで天気図と睨めっこ。もうひと雨きましたが、なんとか10時には曇天へと。ああ、これなら走り出せる。

割烹たがわ

 まずは大村で墓参りをしてからの。
 諫早で馴染みのカツ丼に対面して。
 諫早の叔母さんと、東長崎の仏パティシエのマダムに会ってからの〜
 何しろマダムには春先から夏場までの、恋愛事情の相談に乗って貰っていましたので。ちゃんと顛末を報告しておかないと。
 デモまだ続いているんでしょ、男の人は諦めたらダ〜メよ、とのこと。
 大回りで島原半島を一周。
 やはりは元台風🌀21号。
 橘湾は大波🌊が立っておりました。

橘湾

 久々に天草の乱で有名な、原城を巡ってきました。
 ここは名うての心霊スポット、掘ればゴロゴロ首なし人骨が出てきます。文字通りの血戦の地です。かの宜保愛子が番組でここにきて、撮影中断して震えて帰ったそうです。

 鶴の如く美しい島原城造営のため、島原藩主松倉勝家は圧政を敷きました。かの名護屋城の部材も運び入れて使ったといいます。4万石の財政なのに幕府に見栄を張って10万石と申請して、応分の賦役と年貢を取立てました。
 特にキリシタンには厳しいものですが、問題はなんと収穫の9割という9公1民という税率。生まれたら赤子税、死んだら墓穴税という全て課税という始末。
 そりゃあ一揆になるわ。

原城跡

 原城から眺めるとまさに風雲急を告げる、という雰囲気でした。
 ここに37千人が立て籠もり、包囲する幕府軍は総勢12万、40万両という巨額の戦費が掛かります。いよいよ戦は凄惨な飢餓籠城戦となり落城。wスパイだった一名だけは赦されたので、城内の最期の様子は記録されています。
 首謀者たる天草四郎を根絶するために、一揆軍は老若男女、誰彼区別なく斬首されました。誰もが彼の顔を知らなかったからです。
 そして天草四郎の実母に「コレはお前の息子か⁉️」と全員の首実検を迫ったそうです。トラウマになるわ。
 しかしながら老女の言が奮っている。

 こんな首の中に、わしの息子はおりゃせんわ❗️

 首なし遺体をそこらに乱雑に埋めたそうで。
 どこを掘っても人骨だらけというのはそういうことです。
 実は抜け穴らしき遺構もあるので、天草四郎は生き延びたのでは。そう思うと浪漫がある。
 最後に。
 乱の原因となった松倉勝家は、その責や重しと。
 大名でありながら罪人として引き立てられ、切腹ではなく斬首された上にその首は長崎で晒されたそうです。

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