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長崎異聞 18

 針のむしろというものが現実にある。
 それを醍醐は実感するのである。
 東山手に戻り、今の家長である亮子夫人に許諾を求めねばならぬ。
 まずは最初に彼が通された客間に、蔵六と李桃杏を残して炊事場へ回る。邸内の料理は銀嶺の給仕長が賄っているが、その材料については彼女の差配になっている。
「かたじけのうござる。奇しき縁で客人をご案内しております」
「あら。先程の御方かしら。あの清のご婦人もそうなのかしら」
「はあ」と醍醐の語尾は落ち着かない。
 果たしてユーリアはと尋ねると、本日は南山手に赴いているとの言に安堵する。が、彼女の警固を務めておらぬ自らを恥じ、苦虫を噛む気がする。

「村田蔵六です」
 彼は素っ気なく名乗って茶を啜った。
「大村卿でございますね。上方でお会いしております」
「いえ。ここは蔵六ということで」
 亮子夫人はそれにも微笑みで返し、ではそのようにと静かに言ったが、李桃杏に向けた表情は頑なな強さがあった。その眼は次に醍醐に向けられ、背筋に氷柱のような冷たい電流が落ちた。
「で、醍醐さま。こちらはご紹介頂けないので」
 とがめる眼であり、いぶかしむ眼であり、詰問する声音である。
 桃杏はまたきょとんとして、日本語が不得手な芝居をしている。身の処し方に長けた女だと醍醐は歯噛みする。
「いや。これは儂の通詞でな。先刻、館内で身受けしてきたのよ」と蔵六はしゃあしゃあという。
「はい、どうぞ宜しく」と桃杏は席を立ち、流暢な日の本言葉でお辞儀をした。掌返しに長けた女だと醍醐は横睨みする。
「では蔵六さま。長崎には如何なご用向きでご滞在ですの。それに主人はご助力できると思いますわ」
「露西亜を止める。それが儂の最終目的です」 
 初めて彼の眼に底光りのする本心を見た気がした。

 村田蔵六。
 希代の軍政家である。
 長州の出生ではあるが士族ではない。
 旧来から藩医を連綿と続けたことで帯刀が許されてきた。
 藩より許しを得ては大坂、緒方洪庵の適塾に入り、二年も待たずに諸先輩を押しのけて、その塾頭になるほどの究学の傑物である。
 その彼が如何にして軍術家になり得たか。
 それは彼が医学書の濫読の合間に、趣味で翻訳していたのが欧州の軍事書であったのである。翻訳の鍛錬のつもりであったその書物で、彼は近世の軍術の数理を血肉を得るように体得していった。
 そしてその数理を現実に行える、果断な性格であった。
 彼は人の眼と風聞を憶度しない。
 武士の尊厳と体面を忖度しない。
 安政年間のことである。
 彼の用軍説の教諭を見た幕府が、教授方手伝いの身分から築地の講武所教授に引き上げた。
 かの井伊大老の桜田門の受難の年。彼は長州藩よりお召しがかかるが、幕府への報恩のため敢然と断っている。そればかりか慶応二年の長州征伐の軍参謀長として、郷里を銃砲で砕くのである。
 鬼、と呼ばれた軍師であった。

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