離島の上にも、3年
石の上にも3年という。
今日で丁度、移住して3年を迎えた。
この曙光は、離島での原点に思える。
数年ぶりに6時間もの睡眠が取れて、満ち足りた思いでBROMPTONを繰り出して港まで降りた時の写真になる。
離婚して別居した往時においては睡眠障害があり、睡眠導入剤を以て数十分ずつの薄片のような睡眠を取っていた。2日で3時間は眠れただろうか。
その体調でも生活のために働いていた。が、元旦の朝に低体温症となって身動きできないほどの頭痛に苦しんだ。
体温計で計ると34.4℃というあり得ない数値を見た。
同居していた愛犬が目覚めさせてくれたが、命の危険にも背中合わせだったと思う。その瞬間から転地療法を真剣に考え始めた。
それは精神科医の同級生の勧めによる。
長崎市には家族で過ごした家があった。
賃貸物件を併用していて、家賃収入で生活する老後設計だった。その売却を急いだのは、不慮の死が目前に見え隠れしていたためだ。死後に迷惑をかけたくはなかった。
当時の私は通勤途上に必ず、人手に渡ったそのビルの前に立って、じっと眺める習慣があった。
この家こそが自分の還るべき場所であるのにな、と思いつつ。自分の帰宅を待つ家族は既に存在しないことも承知しつつ。
後ろ髪を引かれる思いながら、踵を返して愛犬と過ごすアパートに帰宅する生活だった。
それでは心の深傷は癒えるはずがない、精神科医として彼はいう。幸いにも独身となって、不動産も売却したので足元は軽い。
すっかり恢復した現在でさえも、長崎市に宿泊するのは、憚られる。
必ずその場所に立ってしまうし。
ホテルでの眠りも、同様に浅い。
友人の勧めは、己れの生活圏から、そのビルを排除しないといけないという。
車でもバイクでも、容易に立ち寄れるような場所にいてはいけないという。それで私は離島への移住を選択した。
私の選択は間違いではなかった。
小鳥の囀りで覚醒するという古民家。
あれほど渇望していた眠りが、ここですぐに得られるという至福。
この時期は、寂しさの余りに旧友や、佳い女子らに長電話をしていた時期でもある。それがこの写真の日々を追うにつれて想起されている。
そして任期終了日も迫っている。
さて何れの道筋へ、舵を切るか。