長崎異聞 9
豪華なテーブルに卓布が被せられている。
ぴっちりと糊が利いて、皺も汚れひとつもない。
その食卓には銀食器で見たこともない料理が並べられている。しかも獣の
肉もこんがりと焼かれて饗されている。
正面には二対の銀の匙、肉刀、肉叉が並んでいる。どれも職人が磨きあげた輝きで、橘醍醐は肩を窄めて委縮している。
対面にはユーリアが座しているが、彼の眼には彼女は映らない。それよりも箸のないその食卓で、いかに振舞うかが気がかりでならない。
「君、醍醐君。今日は君がこの屋敷に越してきた祝いの席だ。大いに飲んで大いに食べて、楽しみ給え」
その長大なテーブルの角に座る、陸奥宗光が上機嫌に声をかけた。
すかさずその対面の亮子夫人が華美な笑みをこちらに向けた。石清水ほど透明なギヤマンの杯を一同はあげる。
これは血ではなかろうか、と召使が注いだその液体を、恐る恐る見てはいた。その醍醐も一拍おいて、見様見真似でそれをあげる。
気が付くと対面のユーリアが自分を覗き込んでいる。
今晩は髪を巻き上げて櫛で固めている。桜色の首筋から胸元まで露わな洋服を纏っている。それだけで純朴は青年は畏まってしまい、目が泳ぐ。
「よくないよ、醍醐君。儂は先日何といったかね?」
「この御仁に決めた、と」
「その前じゃ、面を上げないと骨相が見極めぬ。ユーリアも心配しておる。避けられておるのではないかと。警固の対象がそれでは困る。とくと眼を向き合わせ給え。ひとは口よりも眼が雄弁じゃ」
「そうですよ」と亮子夫人が相槌を打ち、ほほほと笑う。何が可笑しいのか、朴念仁には知りようもない。
目を合わせると、やはり翠の混じった蒼い目をしている。雨滴すら受け止めそうなほど睫毛が長い。首筋に真珠の珠飾りをつけている。鎖骨まで開けているが、妙齢な女性のその姿は刺激が強すぎる。
よく見れば唇は色が薄い。しかし思いのほか厚い。
ユーリアはギヤマンを持ち上げて揺らしながら、醍醐のそれに近づけてくる。宙でちん、と硬質な音を立てる。
「こは驚いた。なんでござる」
「乾杯でございます」
ははあ、と彼女に倣って醍醐も意を決して、その血にも似た液体を口に含む。甘い、次の瞬間には酸味が鼻を抜ける。むせた。激しくむせた。それを彼女は残念さを押し隠すような目で見ている。
その卓の向こうでも陸奥夫妻がギヤマンを鳴らして、「乾杯」と声を上げている。
「無理もない、葡萄酒は最初は侍の口には合わないのだ、ユーリア。しかしながら彼にはこれを学ばせないといかん。宴席でも彼はそなたを護る職務がある。用心棒としての素養よ」
「まあ、剣呑」と亮子夫人が言う。口癖らしい。
そも葡萄というのも醍醐は食したことはない。
果実であるとは絵巻語りで知っている。
しかしながら彼にも判ることがある。
この香り、それはユーリアの身体から匂い立つものと同種である。成程、これが彼女の匂いというものであるのか。
次にはむせずに杯を空けてみせる。
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