風花の舞姫 羽衣9
鳴神六花が乗り込んできた。
そして深いため息をつき「ミカという娘。危ういわね」と言った。
しばらく彼女は助手席の背もたれに身を埋めて思案していた。そしてゆっくりと重たく唇を開き始めた。
「前回の依頼の時にいただいた貴女の写真を、元彼に見せたわ。慌てた様子で口早に話してくれた。まず彼の方から縁を切りたいってこれを預かってきたわ」
そうしてわたしのキーホルダーを渡してくれた。
が、それは中空で霧のように消失してしまった。
驚くには当たらない。それは以前の依頼時にも体験したことだ。当惑したのは、それを返そうとあいつが思ったことだ。
「彼女はね、そうね。いわゆる援交の窓口をしていたわ。スポンサーがいるのかどうかは彼は知らない。かなりの娘を抱えていて、それなりの顧客もあった。それで黄皓のグループといがみ合っているわ。彼も相当脅されているらしい。所在が彼にも掴めなくってね、彼女。何度か連中に拉致されそうになっても、文字通り飛んで逃げたそうよ」
「・・飛んで・・逃げた」
「そうミカにはね、羽衣があるからね。貴方の分身のなかにもいたでしょ。羽を持った存在」
「羽衣って何なんだ?」と脇から先生が尋ねる。
「この娘が手鏡で分身を産んだときに、ダウンジャケットを着ていたの。その羽を持って分身錬成されたのよ。中身は白ガチョウの羽だけど、分身って基本的に磁場の凝り固まったものだから。それでも充分に飛翔できるわ」
そうなのか。
わたしが同期したひとりに、飛翔して開智学校の周辺を舞っていたのがいる。
「それにこれからが本題だけど、そのミカはガチョウの怨念が取り憑いている。羽を奪われた恨みが積もっている。動物霊の助力で魍魎化を始めているわ」
「ブンを拐ったとすれば、やはり黄皓のグループなのか」
「ブンには羽はないものね。ちょっと色葉に居場所が読めるか、聞いてみるね」
そう言って彼女はスマホを取り出した。とても彼女らしくない、色んなビーズでデコられたものだった。借り物かもしれない。手短かに通話を切って、また語り出した。
「・・・色葉がいうには、そうね。断崖のような場所に立つ古びた洋館とか、ホテルとかそういう場所に監禁されているらしい。近所には、高圧電流の鉄塔があるみたい」
「だめだ、そんな場所なら、信州にはありふれている」
「無理言わないで。色葉は見たことある場所しか、特定できないの」
あの、とおずおずと声をかけた。
まるで関係のないことかもしれないけれど。湧き起こる疑問に抗えなかった。脳裏には先ほど煙と消えた鍵があった。
「あのこれブンのスマホなんですけど、砂場に立ってた方の。これはどうして消失しないんですか」
「そのスマホは別名で登録してない? 彼女の名前とか。そうなっていると、ブンの言霊で真名を刻まれているので、同時に存在できるのよ。お互いの通話はできないけど・・・それに通話料は全て貴方が持つのだけど」
それから、あ、と小さな声を上げた。
「ここで貴方しかできないことを言うわ」
はいと答えるわたしを振り返って、真剣な眼差しをして付け加えた。
「拉致されている彼女、しかも相手が相手。酷いことをされているのは覚悟して。でも場所さえわかれば、私が助けてあげる。これは約束するわ」
すぐには肯定できない。粘い覚悟が必要だった。その重さをわたしは知っている。骨の髄まで知っている。それを断ち切るために郷里を離れたのだ。
「貴方なら彼女と同期できるの。ふたりは魂の同位体なのよ。逆に、そうチカとはできないの。魂の枝が違うのよ」
閉ざされたドア。その向こうにいる人間の素性は知らない。
決められている時間にノックするか。インターフォンのスイッチを押すだけ。
そうしたら、始まる。
「そこでね。ミカを誘導して彼女のスマホを使わせるの。分身したときの枝が違うからミカがiPhoneを使うには、別名に登録し直して真名で縛るわ。そうしたら貴方のiPhoneで現在位置が見れる」
「わかりました」と呑み下したのは、涙だったのか唾だったのか。
暗黒の道を歩いている。
いや泳いでる、いや流されてる、それとも飛翔してる?
重力の縛りを受けず、実感できる肉体の範囲もわからず、一番近い感覚は急流そのものが自分の肉体であるかのような膨大な質量として、ただそこへ終息するべきベクトルに向かっている。
鳴神六花の導きもあり、瞑想に入ってからこの状態が続いている。
次第に肉体の範囲が生まれてきた。瀬に拡散して流れている細胞が、まとまりを持ち始めた。澱みに滞留している細胞も自らあるべき場所に戻りつつある。
ああ。これは産道なのだ。
産道を再びわたしは通過している。
はっと覚醒した。
廃墟のような部屋。
硬い木製の椅子に座っている。
そればかりか後ろ手に拘束されている。両手の親指に針金みたいなものが食い込んで疼痛がある。さらに椅子の足に左右の脚が拘束されていて、緩く脚を開いている。
天井から裸電球がぶら下がって、たったひとつなのに煌々と明るい。
そして雄の臭気を纏った男たちが、血走った目でわたしを見ていた。
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