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ベートーヴェン生誕250年 その4

ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」に逸話がある。逸話に共感を抱くのは私だけでしょうか。ベートーヴェンがナポレオンの肖像画に触れたか不明ですが、絵画のプロバガンダは効果絶大。

逸話とは?

ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」は1804年に作曲された。解説を読むと、かならずこんな逸話がある。ユニバーサルのサイトがコンパクトにまとまっています。

ベートーヴェンは、貧困層から出て王制に戦いを挑んだナポレオンに共感を抱いて作曲したが、彼の皇帝即位を知って激怒。楽譜に記した献辞を激しく掻き消し、『ある英雄の思い出に捧げる』と書き直した」(出典、https://sp.universal-music.co.jp/beethoven250th/music.php)


 私が見聞きした逸話で刺激的なのは、カラヤン指揮ベルリンフィル管弦楽団が1962年にベルリン、イエス・キリスト教会で録音したLP(CD化されているはず)のライナーノーツです。

ベートーヴェンの弟子のフェルディナント・リースは、その「手記」で次のように伝えている。
「ナポレオンが自分から皇帝に即位するという宣言を最初にベートーヴェンに知らせたのは、私だった。ベートーヴェンは、これをきいて大へん怒り、「あの男もまた平凡な人間にかわりはなかった。いまや全人類の権利を踏みにじり、自分の野望を満足させようというのだろう。彼も自分以外のすべての人間の上に立って専制者になりたいのだ」と叫んで、机のところにいそいでゆき、総譜の表紙をとると、上から下に半分に破き、床の上になげつけた。こうして表紙はもう一度書き直され、そこであらためて<シンフォニ・エロイカ>という題がつけられた。(出典、ライナーノーツ、グラモフォン、MGX9953)

ユニバーサルのサイトと比べると登場人物が追加されて、激怒の状況描写が深り、弟子のリースがマッチポンプの役割を果たしている。
 たいてい弟子は師匠=先生の好き嫌いをわかっているはずだ。こういえば怒る・ああいえば喜ぶ。なぜゆえに弟子リースはベートーヴェン先生を怒らせたのかも不思議です。そんなに怒らないだろうと踏んでニュースを知らせたのでしょうか。

 もし怒り心頭しすぎてベートーヴェンが「楽譜全部」を破いてしまったらと心配しますが、本人も表紙だけ書きかえただけなので案外冷静だったのかなとも思います。加えてベートーヴェンは変わった人と伝えられますが、周りの人たちの方がずいぶん変わっていたのでは、と思うことがあります。

逸話の落ち着きどころは

あまりに有名なこの作品の作曲動機は実のところ明確ではない。完成当初はナポレオンに捧げるつもであったことは確実で、掻き消され、ひきさかれた表題ページには、ナポレオンが帝位につくまでは「ボナパルト」の題名と献辞が書かれていた(出典、平野昭「ベートーヴェン」新潮文庫、1985)

 確かなことは、作品の作曲年だけではと思えてきませんか。あとはベートーヴェンが好きすぎる人たちが残した逸話が伝説化あるいは神話化した話だと。


逸話の自然なひたしみやすさ

 ところで英雄にまつわる逸話はどこか強い力をもっていませんか。「ナポレオンのニュース、わかるわベートーヴェン、怒るよね」と共感にかられます。

 ちなみに私が交響曲第3番「英雄」を聞いた順序は逸話に触れてからです。天才の音楽にありがちなパターンです。知識先で音楽後です。

 実に簡単な話でナポレオンを歴史で習って絵画を通じて強く印象づけられているからだ、と思いました。彼は200年前の人で会ったことが無いのによく知っています。フランス人の画家ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748ー1825年)の2枚、ドミニク・アングル(1780ー1867年)の1枚を通じてです。


 一つ目は「サンベルナール峠を越えるボナパルト」という作品。ジャック・ルイ・ダヴィッドが1801年に描いた絵です。

 Wikipediaによると複数枚あるようでマルメゾン城に所蔵された絵の大きさは261cm×221cm。実物に接したことはないですが2メートルを超える絵なのでたいへん大きく圧倒間違いなしだと思います。
 画面中央の超近景にナポレオンが白馬に騎乗している。白馬の手綱を左手でいとも簡単に保ち、右手は向かうべき方向を指し示す。日常のやり取りで指先で何かを指し示す場合、お互いに状況や情報を共有している。あっちに行ってください、これですなど。

 そのためナポレオンの指す指先の意味は絵を見る鑑賞者でもわかる。私についてきなさいと。画面左側の中景にはすでにきつい山道を大砲を持って進軍する。画面右側の遠景には出発した街のようなものが見える。

 白馬は目を見開き歯をむき出し、重心を後ろ足にためて沈みこませ前足を高く上げている。後ろ足は岩場になっているが、階段程度の段差で一歩でまたげる程度。さあ、迷うことはない、当たり前の一歩を踏み出そうと。

 などなど特徴を感じるのですが、私が気になるのはナポレオンと白馬の大きさの自然なバランスが崩れている、白馬のたてがみと尻尾そしてナポレオンのマントが進行方向と逆向きになびいているところ。

 白馬よりもマントと一体化したナポレオンが大きいし、風とは逆向きになびくことで、ここだけで何かに戦いを挑んでいる感じがしっかり伝わります。何もかも追い風。
 ナポレオンってダヴィッドの描いた通りで頑張っているだなと思っていたら、数年後に同じダヴィッドが1805−1807年に描いた「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式」(大きさ621×979cm、所蔵しているルーブル美術館でも最大級の大きさを誇る)、アングルが1806年に描いた「王座の皇帝ナポレオン1世」(大きさ260×163cm、パリ、アンヴァリッド軍事博物館)になっていたら「皇帝じゃないか。おい!」とつっこみたくなる。

 「戴冠式」では大きな空間のなかで柱が上にはみ出し、たくさんの人に囲まれて一目ではナポレオンを見つけれないくらい盛大に開催されている。クローズアップされた「王座の皇帝」では皇帝を飛び越えて神様みたいじゃないか。

 歴史でならったことと視覚的な印象があってベートーヴェンの逸話に共感力を抱くのではと思います。

私の音楽ラック


私の棚にある英雄を数えてみたら8種類あった。今回これらの演奏を聞き返してみた。

1. ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(東芝EMI) LP版、録音年ライナーノーツに記載なし
2. ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(東芝EMI) CD版、1952年録音
3. ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(グラモフォン) LP版、1962年録音
4. ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(グラモフォン) CD版、1967年と1977年録音
5 .ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(グラモフォン) LP版、1976年と1977年録音
6. カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(グラモフォン) LP版、録音年ライナーノーツに記載なし
7. カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(グラモフォン) LP版、録音年ライナーノーツに記載なし
8. 小沢征爾指揮 サンフランシスコ交響楽団(PHILIPS) LP版、1975年録音

なんでこんな同じものを買っているのだと、自分自身あきれてショックをうけました。
 ナポレオンの即位を弟子がマッチポンプ的に伝えたばっかりに激怒という逸話で親近感をつくらなくても英雄はほんとうに素晴らしい曲。第1楽章から第4楽章まで吹けよトランペット、叩けティンパニ、刻めヴィオラ、唸れコントラバス、叫べバイオリン、落ちつけないサウンドです。爆音ならなおのこと。

 フルトヴェングラーからベームまでは特にそうです。ちょっと感覚的に違うように思うのは「ためのフルベン」、「ラウドなカラヤン」、「グルーヴィーなベーム」です。

 コンサートで聞いていると、各楽章毎にステージに駆け寄りたくなります。私の感じですがオーケストラの奏者にも各楽章の演奏が終わると高揚のオーラが出ている感じがします。いつも残念だなと思うのはオーラを消し去り、次の楽章に進むことです。

不思議な小沢征爾指揮 サンフランシスコ交響楽団の録音

 フルベン、カラヤン、ベームは交響曲第3番は英雄のあだ名がつく演奏だと思いますが、小澤の録音はちょっと違う。ライナーノーツにある感じです。

もしベートーヴェンが英雄のいわゆる勇ましさをあきらかにしようとしてこのシンフォニーを作曲したのだとすれば、ベートーヴェンは、変ホ長調ではなく、たとえばハ長調などをえらんでいたのかもしれぬが、これは、あらためていうまでもなく、変ホ長調の作品だ。だとすれば、このレコードでの小沢の演奏は、もしかすると常識に反したものとうけとる人があるとしても、多くの人が「エロイカ」というタイトルに幻惑されて見のがしていた真実に気づかせるものといっていいように思う。(中略)
一聴してわかることだが、これは、ききてをして血を湧かせ胸を躍らせる演奏ではない。しかし「エロイカ」というタイトルを裏切る演奏とはいえない。ここには、音楽的生気が汪溢している。それはまさに、「エロイカ」のものとして、ふさわしい。たとえききては、ある種の力でおしながされることはないとしても、耳をすましてきいてくかぎり、きいた後、他では味わったことのない充実感を感じるはずである。(出典、ライナーノーツ、PHILIPS STEREO X−7551)

私もライナーノーツのような感想を持ちます。交響曲第3番は英雄とあだ名がついてきた。小澤の演奏を聞くと交響曲第3番は「休日のひととき〜英雄」、「森林浴をする〜英雄」、「田園で休暇を楽しむ〜英雄」と新しいあだ名が必要かなと思います。生気を養っている印象を受けます。生誕250年ですし見直しもよいのではと思います。いかがでしょうか?

ベートーヴェンにプロバガンダ効果はあったのだろうか。

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