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実は書店で本を買ったり予約をするのが苦手だ

<書店は好きだが、本を買ったり予約する対人の瞬間が苦手だ>

 似たような人は意外と多いんじゃないかと、勝手に思っている。
 誤解しないで欲しいのは、作家さんが本を予約して欲しいと思うなら、どんどんそう発信すればいいと思うし、それが悪いとは全然思わないということ。
 単に、個人的に苦手なのだ。

 特に予約が苦手だ。
 ただ、あくまで「苦手」なのであって、「やりたくない」「嫌い」ではない。
 やらないで済むならそれに越したことはないのだが、予約による書店・作家への様々なメリットを拝聴していると、やったほうがいいなとは思う。
 だから予約している。
 苦手だが努力で補える範囲なので、そうしている。

 そんなに苦手ならAmazonなり通販で買えばよさそうなものなのだが、できれば書店にはつぶれて欲しくないし、多少なりとも有形の貢献がしたい。
 書店は好きだ。地域への貢献も大きい。
 本も好きだ。知らないことをたくさん教えてもらえる。
 ただ、対人で書店で買い物をしたり、予約するのが苦手だ。

 じゃあネット予約すればいいじゃないかということになるのだが、諸般の事情で利用しないので、これは今回掘り下げない。

 書店の予約システム自体に対しても、不満がないわけでもない。
 近所の書店で注文をすると、既刊の本だと到着まで二週間程度待つことがある。Amazonならすぐなのに。
 それでも、書店応援のためになると思い、まあそれくらいいかと思って待っている。


<なぜ予約がこんなに苦手なのか?>

 さて、本の予約自体は、作家さんや出版社にとって、実に多くのよい効果がある。
 また、私が主にAmazonではなく書店で予約をするのは、そのほうが書店が儲かるだろうと思うからだ。
 通販のほうが多少安いことはあるが、購入するかどうかの判断材料になるほどの値引きではないし。
 そのため、「書店」で「予約」という形態を利用しているし、続けるつもりでいる。

 それにしてもなんで予約が苦手なんだろう? 我ながら理解に苦しむ。
 欲しい本を買うというのは、どこかプライベートを自らさらけだすようなところがあるから、その抵抗があるのだろうか?
 やることは、ISDNコードを提示し、名前と連絡先を記入するだけだ。
 やり出せば黙々と機械的に進めるのに。

 子供のころから場面緘黙(かんもく)に悩まされてきたのだけど、そのせいかもしれない。
 今でも店員さんとやり取りするうちに、苦しんだ記憶がよみがえり、手に汗がにじみ、動悸は激しくなり、顔は赤面し、言葉はどもるが、「どうってことないですよ?」って顔で予約している。

 とりあえず、一朝一夕には解決しなさそうなので、耐えるしかない。なかなか慣れない。
 毎回、ほとんど歯ぎしりしながら涼しい顔で予約している。これには慣れた。

<小説は意を決して読まないと読まなくなるので困る>

 私の場合、放っておくと趣味か仕事関係の本しか読まなくなる。
 そっち系では予約をしたことはない。書店で、棚に刺さっているものを取り出して買う。気楽極まる。楽しい。

 小説というのはいいものだし、とても尊いジャンルではあるのだが、私の場合はなんらかのきっかけをつかみ、意欲を奮い起こさないとなかなか買わない。
 きっかけというのは、SNSでの自薦・他薦の宣伝がほとんど。ほかにはなかなかない。
 自主的に「なにか面白い小説はないだろうか」と探そうという行為が、今まで生きてきた中での生活の中に組み込まれていない。
 それくらい、長いこと、フィクションの物語とは縁遠い生活をしてきた。

 そんなふうに意欲を奮い起こし、苦手なのを承知でカウンタに向かい、子供のころの嫌な記憶を喚起させる予約作業を行い(行うのはどちらかというと書店員さんなのだが)、すっかり消耗して一連の行為を終える。
 あまり楽しい工程がないので、毎回一念発起して、胸中でうめきながら予約している。
 つらい思いしかしないものだから、一度予約をした書店には、もう行きたくない気持ちになる。
 まあそんな気持ちになるだけなので、毎回同じ書店を利用しているが。歯医者みたいなものか。

 つらい思いをする分、欲しい本が手に入るという見返りは得ている。
 トータルではプラスだ。だから嫌ではない。
 たとえば、どうしても自力で空が飛びたいという人が、「ものすごく苦手な味のとある粉薬を飲めば、飛翔可能な翼が手に入る」となれば、我慢して飲むだろう。
 それと同じだ(どういうたとえだ、とは自分でも思う)。


<新しく出てきた予約の「つらさ」>

 蛇足かもしれないが(そんな蛇がいたら楽しいので、ことわざ通りの意味で使いづらいが)、最近は、予約におけるほかの負の側面も出てきた。
 予約のよい点を知れば知るほど、「予約せずに本を買うこと」に罪悪感みたいなものが生じてくるのだ。

 罪悪感の中身は、「なんで予約しないの?/しなかったの?」という心の声だ。
 特に、目当ての新刊が書店に入らなかった場合。まさに、なんで予約しなかった? ってなものだろう。
 面倒だったの? 本当はたいして欲しい本じゃないの? 計画性がないの? 無気力なの? 実はあなたは、とても劣った人間で、やるべきことができない性能の人なんじゃないの?
 そう責められているようで(誰にと言われれば、自分だ)、罪悪感と劣等感を煽られてしまい、なかなかしんどい。

 これについては、それこそ毎回予約をすれば解放されるものであり、すぐに楽になれるだろう。
 Win-Winだ。
 間違いない。
 しかし、罪悪感や劣等感で行動を規定されるというのは、個人的にはとても苦痛だ。

 できればもう少し、前向きな理由で予約がしたいものだとは思う。
 これは個人的な思考の改善点であると言える。それができれば解決する。

<余談:本の「意味」と言われると>

 前に、SNSで「小説を買った」という投稿をしたところ、作家の方から「発売後一年も経ってから買ってもらっても意味がない。続刊するかどうかは初速(主に発売後一週間)で決まるからだ」と発言されたことがある。
 少々辛らつだけど、本音の一つだろう。
 似たようなことはみんな思っているとしても、「意味がない」とまで言われるとつらいし、役に立てなくて申し訳ないが、まあ読者としては、この作家さんの規定する「意味」のために本を買っているわけでもない。
(なんで本を買って申し訳ない気持ちにならねばならないのかとは思うが、そういえばもともとそんな必要はないか)

 この場合の意味とは、続刊することとか、この作者の方が商業作家を続けることにおいての意味だろう。
 そのくらいの注釈がないと、この「意味」に従うと、発売直後を過ぎた本は、もう買う意味がないということになる。
 書店に並ぶ新刊以外の本は、「意味の死体」になってしまう。
 この本は意味がなくなりましたした、はいさようなら。返本がはかどり、新しい本の入荷が増え、新人が台頭しやすくなるだろう。いい効果もある。
 ただ、意味が消失した商品は見えないところですべて廃棄されるから、なかなかの死屍累々ぶりである。
 同じ意見の作家様方は、どんな気持ちで意味の尽きた自作品を見つめているのだろう。

 その場合購入者は、意味のない本を買う。意味のない物語であっても感動し、心を震わせる。
 でも、作り手側は「意味がない」と思っている。
 
 この思想は、本質の一端を突いているとしても、なかなか空しい世界だ。もう少し救いが欲しい。
 意味は、ないわけではない。ただし、ここでは続刊含め「この作家さんの望んだ結果を叶える材料としての意味」は失われた。
 それくらいに切り分けておこう。
 読者が物語から得る意味は、それらとは別のものだ。こちらはちゃんと不変の価値があるだろう。

 多くの書き手の方は、「予約はプラス。無予約はゼロであり、マイナスではない」くらいにとらえていると個人的には思っている。
 無予約をマイナスととらえると、売り手と買い手、両方に有形無形の不利益と苦痛が生じるだろう。

 余談が過ぎた。
 まあ、予約はとてもいいことなのだけど、あまり気にし過ぎると精神的に良くないし、予約していない本を買いにくくなってしまうかもしれないので、思いつめないほうがいいよねというくらいの話だ。


<結び>

 このように、予約というのはいいことだからどんどん奨励したいのに、こと私の個人的な内面や体験で掘り下げていくと、あまりいい内容にならない。
 ただでさえ苦手なのに、全然事態が好転しない。
 先天的に苦手というのは、かように対処が難しいものである。

 それでも、書店や作家さんに生じる少なからぬ影響を考えると、やはり客観的に見て予約はしたほうがいいなと毎回思う。

 こんなやつに予約されても嬉しくないかもしれないが、今のところはとがめられていないので、また近いうちに予約をしにいくだろう。

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