アダルトチルドレン卒業宣言 【その1】
3年ほど前のある日、「あれ、もう死にたくなくなってる」と気がつきました。
そうして、前回投稿したように、この半年で親との関係が変化したことによって、とうとうアダルトチルドレンからも卒業したという感覚が生まれました。
今回はそんな「アダルトチルドレン卒業宣言」です。
先日知人に、「どういう段階を踏んで今の状態に辿り着いたのですか?」と聞かれたこともあり、ここで諸々を一旦振り返ってまとめてみたいと思います。(もちろん人によって解放の道順はさまざまですから、あくまで私の経験の記録です)
「出口はあるんだろうか」と苦しんでいた以前の私へ、また、同じように現在苦しんでいる方へ、なんらかの励みになりましたら幸いです。
※今回はある意味これまでの集大成なので、とても長いため、何回かに分けてご紹介いたします。
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■私は今生きていて、それで十分。
こんな人生じゃなかったら。
存在を肯定してもらえる家庭に産まれていたら。こんな心の傷を抱えないで済んでいたら。もっと早くいろんなことに挑戦できていただろうな。
自殺衝動が消えてからも、こんな思いは長らく消えなかったのですが、気がつけばこのところもうどうでもよくなっていました。
親に、「私の人生を弁償して欲しい」と責め立てたい気持ちも消えていました。
私は今生きていて、それでもう十分。満足。
私は私の人生にフォーカスしていこう。
そうして、以前自殺衝動が消えたことに突然気がついたのと同じように、最近、自分はとうとうアダルトチルドレンを卒業したのだ、と気がつきました。
こんな日が来るなんて思いもしませんでした。一生この苦しみは続くものだと思っていました。自ら死を選ばないで本当によかった。
これまで何度も書いてきているように、私が苦しみの渦中にいたときに知りたかったのは、「ここから脱出した人はいるのだろうか」ということでした。
その頃読み漁ったお医者さんの書かれた文献などでは原因や心のメカニズムはわかっても、それを克服した人の情報が一切なく、あったとしても「患者のA子さんは現在も通院中です」というような記述で、私は毎度絶望していました。
あれからだいぶ年月が経ったので、現在はそのような発信をされていらっしゃる脱出当事者の方も少なくないかもしれませんが、その例は多ければ多いほど良いはず。
私の経験のうち、ここに至るのに有効だったと思われる要因、経過、どのような変化が心身に起こったのかを、何回かに分けて振り返っておこうと思います。
■心の解放に役に立った5つの要因
まずはここに至った要因を振り返ってみようと思います。もちろんさまざまな試みが功を奏しての現在の状況ですが、振り返ってみると、下記の5つが大きかったという気がしています。
1、「瞑想」で頭の中を冷静に観察できるようになったこと
2、「仮装」による社会的な反抗、そして別人格を肯定できたこと
3、「催眠療法」で過去の私に会いに行き、育て直したこと
4、夫とそれぞれのトラウマを乗り越えたこと
5、親との関係が変化したこと
以下、それぞれを振り返ってみていこうと思います。今回は1と2をご紹介いたします。
(1)瞑想〜脳内の罵詈雑言を黙らせ、心の乱高下を乗りこなす〜
社会人になって以降、あらゆる社会生活が上手くいかず、自信喪失がますますひどくなり、何をするのも怖くなり、そんな心を少しでも楽にしたいと色々な解決策を調べたり試みたりするようになりました。
そのうち、「瞑想が役に立つのではないか」と気になり始め、本で勉強したり、瞑想を体験しにいくようになりました。
しかし最初は、3分続けるのもしんどい上、何が良いのかもまったくわからず、逆にイライラするばかりでした。
しかし半信半疑で続けて何年か経ったあるとき、長年自身を痛めつけてきた「頭の中の罵詈雑言」が静かになっていたことに気がつくようになりました。
そしてそれと同時に、それまで振り回されて疲労困憊するばかりだった気持ちの乱高下を、だいぶ乗りこなせるようになっていたことに気がつきました。
それまでの私は、「お前なんて生きる価値なんかないから死ね死ね死ね」「お前に出来ることなんて何もない」「みんなが嘲笑してるよ」「なんでこんなものしか作れないの?」というような自らへの罵詈雑言が脳内にパンパンで、常にこの言葉の銃弾に蜂の巣にされ、息も絶え絶えな状態でした。
この言葉は母に投げられてきた言葉を自ら吸収した結果でしたが、こんな精神状態では、作品制作も、仕事をするにも、人とつきあうにも上手くいくはずがありません。
「頭の声がうるさい!」「どうやったら黙らせられますか」とよく周囲に相談していた私のことを記憶されている方もいらっしゃるかもしれませんが、常に存在を抹消しようとする自身と戦っていて、生きているのがやっと、という状態でした。
でも瞑想を続けていくうちに、「この言葉は単なるまやかしであって、私自身ではない」と自分から引き剥がせるようになり、「また頭が妄言を吐いている」と冷静に観察できるようになりました。
妄言だらけの泥水で満たされていたような脳内が、瞑想をすると塵が沈澱するようにクリアかつ静かになっていく。
常に暴風雨に吹き飛ばされそうになりながら必死に踏ん張っていた人生が、限りなく無風になり、「こんなに生きるのって無理な力がいらないことだったのか!」と驚きました。
といっても、毎日に忙殺されて瞑想をできないでいると、たちまち脳内に妄言の泥水が戻ってきてしまいます。ですので、最近はやらないと落ち着かないまでに完全に自分の習慣になりました。
脳の神経回路には可塑性があり瞑想によっても組み変わっていくということが科学的に証明もされているようですが、実際に現在の私も以前に比べると信じられないほどに力を抜いて生きられています。
最近は瞑想の効果が色々なところで言われていますが、私と同じように頭の声に悩まされている方は、初期投資もかかりませんし危険もありませんので、やられてみてはいかがでしょう。
私は、上座部仏教、真言宗、曹洞宗、マインドフルネスなどのあらゆる瞑想や坐禅などを節操なく齧り歩き、結果、自分に合うようにミックスした自家製瞑想に落ち着きました。でもこの「マインドフルネスストレス低減法」にはとても助けられ、現在でもCDの「静座瞑想」をほぼ毎日やっています。
ただ、いまだに瞑想中には集中できないことも多い私。アート/デザイン界の巨匠、横尾忠則さんの修行記に、大笑いしながら励まされています。
このコロナ禍ならではの、オンライン坐禅会にも、たくさん助けていただきました。
瞑想に興味を持ち始めた初期の頃に、スリランカ上座仏教長老のスマナサーラさんの1日瞑想指導も受けたのですが、とても勉強になりました。
⑵仮装〜社会に対する反抗期と別人格の肯定〜
最近はメインの私の活動になり始めている、アート仮装「KESHIN」。しかし、もともと仮装を始めたのは、大いなる「ヤケクソ心」からでした。
この写真の仮装が最初だったのですが(私は一番右)、もともとは仮装よりも化粧がメインでした。といってもナチュラルな美しさというものとは対極の、キワモノ的で塗りたくる化粧。
というのも「美しくなる化粧」は、美の基準という俎上に乗せられてしまうのでものすごく息苦しいけれど、キワモノ化粧なら誰に何も言われようと怖くない、自分の好きにできる、そう感じたからでした。
母から強烈に周囲の目を植え付けられて育った私は、何をやるにも人の目を気にして頭がおかしくなりそうになっていたのですが、あるきっかけがあり「徹底的に醜く、怖くなってやる!」とヤケクソになって変身してみたら、ものすごい解放感でした。まさにカタルシス。
しかも人の目は思ったよりも怖くないし、自分のなりたい姿になったら仲間が増えた。
そんな想像もしていなかったポジティブなことばかりが起き、自分が「周囲に求められている私像」の殻を破壊して、自分らしい姿になる快感を知りました。
子供が反抗期を経て自立をするように、私も仮装というヤケクソな試みで自分から人の目という土俵から降りることで、社会的に反抗期を経てアダルトチルドレンを卒業できたのかもしれません。
また、「仮装で別人格に変身する」ということも、大きな効用だったと感じています。
トラウマ体験を持っている人には解離性同一性障害が発生したり、別人格を生み出して生き延びるという話をよく聞きますが、私も幼少期からいくつかの人格に助けられて生きてきました。
(ただ、完全に意識が切り替わってしまうわけではないので、自分では「コントロールできている多重人格者」だと考えています。これが学術的に存在しているのかはわかりませんが)。
私は幼少期にひどい人見知りだったため、「コミュニケーション能力が少しでもつけば」と、物心つくかつかないかのときに母に劇団に入れられ、何年か演技を勉強していました。
馴染めず辛い期間だったのですが、そこで「別人格に変身すると湧き上がってくるパワー」を知ったことは大きな財産になりました。
私の中には今も、優しく慈愛に満ちた菩薩的な人格と、悪魔的で破壊的でサディスティックな人格が同居しているのですが、幼少期にどんなに日々が辛くても、悪魔スイッチが入れば、傷つくような心を持たない最強の人格となって、嫌なことを薙ぎ倒して生き延びることができました。
とはいえ、「あの人ってコロコロ変わるよね」「八方美人」という陰口が存在しているのが世の中です。私は長らくこのような複数の人格が同居している自分に後ろめたさを感じて隠していました。
でも、仮装ではその人格も解放できる、そんな自分を肯定できる。そんな解放感がありました。
確かに世界中には太古の昔からお祭りや儀式が存在します。そして、仮面ライダーや、アメコミヒーローなどの変身譚もいつの時代も存在しています。
人間には、精神の健全性や均衡を保っていくためにも、「ケ」の毎日に、一条の喜びや解放感を与えてくれる「ハレ」の場が必要なんだ。
これがわかってきたら、この感覚は決しておかしいものではなかったのだと、ならば時々神様に変身して無敵のパワーを補充していこう、そう思えるようになったことも、心の解放に大きな役に立ったと感じています。
ある時に、平野啓一郎さんの「分人主義」の概念を知り、さらにこんな自分を肯定できるようになりました。
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