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最高の未来が待ってることにしよう。

私たちは、未来を選べない————。

例えば、十字路で。

右か左か迷って『車が来たから、左にしよう』
と、決めたとき。

もしも、車が来なかったら、別の道を選んでいたのかもしれない。

だとしたらそれは、自分で選んだといえるんだろうか。実は、そのタイミングは、決められていたのではないだろうか。。

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例えば、もっと早く家をでるはずだったのに

 姉にアイロンがけを頼まれたから
 5分ほど出発が遅れた。
    ↑
 姉にアイロンがけを頼まれたのは
 いつもより姉が急いでいたから。 
    ↑
 姉が急いでいたのは、母親が寝坊して
 朝ごはんの時間が、遅れたから。
    ↑
 母親が寝坊したのは、昨夜のドラマが面白くて
 夜更かしして観ていたから。。

と、さかのぼっていけば、どこまでも原因があって。

すると大抵、自分とは関係のない事象が、たくさん絡み合って、その時の状況や選択肢を作っている。

私たちはただ、流れの中にいて、起きてくる事象に対して『反応』しているだけ、なんだ。。

生まれる前から。

私たちは家庭の環境も、兄弟の何番目に生まれてくるのかも、自分では決められない。

だけど、基本的な性格や、価値観というのは、その
『生まれることになった場所』で、つくられる。

好きなもの、そう。

ラーメン好きの両親のもとに生まれたら、自分も麺が超好きになったり。(逆に大嫌いになることも。

野球一家に生まれた子どもたちは、プロ野球のファンになったり。。

自分で選んでいるようで、選んでない。

つまり。

用意された環境のもとに生まれ、ふさわしい価値観や経験をして、それに沿った道を生きている。

今ある環境も、目の前のものに対して、浮かんでくる思考もすべて、決まったもの。

ビリヤードで最初の球を突いた瞬間に、全ての球の行く末が、決まってしまうのと同じように。

私たちは、その場に流れてくる状況に対して、決められた通りに、動いているだけなんだ。

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絶望か希望かは、選べる。


——じゃあ、何も決められないじゃないか。何をしようとしたって、無駄じゃないか。

そう、絶望することもできる。しかし逆に、何を選ぼうとすでに決まっているんだから

——最高の未来が待っていることにしよう。

と、希望を選ぶこともできる。

というか、捉え方を変えるくらいしか、できることがないんじゃないかと思う。。(笑

未来は、みえない。

どこからが自分で、どこまでが自分という存在なのかも、わからないけれど。

私たちには、生まれる前から敷かれている、一本線の上を、歩くことしかできないから。

——私たちの未来は、超最高。

そういうことにして、今を楽しんでいこう。

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どう転んだって、幸せにしかなれない。
最高の年の、はじまりです。

決)💮

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